表と裏

毎週とても興味深く読ませていただいている「経済コラムマガジン」さんの今週。

日本のマスコミの体質
http://www.adpweb.com/eco/


というタイトルで、最初のパラグラフのタイトルが「朝日新聞の本質」だった。


誰がどう考えてもこのたびのテーマは、朝日新聞の記者が、NHKの所属員との間で取り交わした取材行為によって獲得したもの、それが何だったのか、それによっては、朝日が嘘を言っている、または、NHK所属員が嘘を言っている、さてどっちでしょう、だった。それにもかかわらず、朝日新聞の対応は、自分んちの側の取材は正しいでおしまいで、それ以上になったら法廷だぁ、だったから、周囲はただあきれてまっせ、ということだ。


それが朝日の本質をあらわすか否かは、まぁもっと突っ込まないとわからないと思うが、多くの人、ことに当該団体の記者と関わった人々が、俺にもこういう話がありますよ、を披瀝し、かつ、過去にあった事柄(サンゴ、教科書、など)から見ても、これって体質ですか、というある種の結論めいたものが表面化していることも嘘ではない。


さて、それにもかかわらず「経済コラムマガジン」氏は、その後、マスコミの談合体質の話にしてしまわれていた。

日本のマスコミは本当に談合体質が染み付いている。記者クラブ制度もその一つである。最も談合体質が最も発揮されるのは一斉値上げの時である。バブル崩壊後、日本はずっとデフレ経済が続いており、あらゆる物の値段が下がっている。ところが新聞だけは何回も一斉値上げをしている。


それはそうなのだと思う。しかしこういう方針で行くと、多分朝日もその一つとなっているわけだから、朝日の「本質」論からはそれていく。全体としてはそれはそれとして聞くべきものがあるが(談合体質批判として)、そうやっていったら単純にいえば、その談合村の「みんな」を批判するまで朝日に対しての個別の批判はやみくもになる。裁判方針だったら最悪だな。


一方で、

電網山賊さんが、私の数日前の「シンプルな事実」というエントリーに対して、
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20050205#1107593436

「総連白山拠点の奥地に謎のVAWW-NET本拠地を見た!!」(ドギャーン)(効果音)
みたいな感じに変換されてしまった。

http://d.hatena.ne.jp/pavlusha/20050205

という状態がある。いやホントに、効果音付きみたいな感じなんですよ。開けた途端笑わしてもらいました。いやしかし、これをどう「本質」問題につなげていったらいいのか、実のところ非常に多くの人がこわごわと見守っているというのが現在を複雑にしている主要な要因なのだろうななどとも見える。


これらを総合して現在の感じはこんな感じかと思う。


長年親しくしている社宅の隣のご主人が背任でクビになりそうだという噂がまわった。どうもかなり本当らしい。さてそこでどう対応すべきか、隣家では家庭内で話合いが行われている。ドアを閉めて。


一家の主人たる男は、いや、そんなことを言ったってA氏は自分からは何も言っていないのだ、決まったわけじゃない、だから俺は今まで通り、それはなかったことにしてつき合うぞ、と言う。


この男の妻は、あなた、そんなことを言ったってAさんは本当のことを打ちあけたいかもしれないでしょ、そうすれば私たちの方だって何かお役に立つことだってあるかもしれない、そうじゃないかもしれないわけですから、私は、そうね、さり気なく、どうなんですか、と、そうは言いませんよ、でも、さりげなく状況を聞いているんだってわかってもらうのがいいのかなって思うの、と言う。しかしこれは会話の達人であるところのこのおばさんだから出来る仕事だ、そんなまわりっくどいこと俺にできるか、と夫は思う。


男の長男は、両親のまわりっくどい会話を前に立ち上がった。そんなのよくないですよ、はっきりさせましょう、Aさん、何をやったんですか、あるいはやってないってことかもしれないんだ、どっちにしても、僕たちに何かできることがあるんだったらなんでも言ってください、長年の友人なんだからその部分は変わらない、僕はAさんにそう尋ねる、そうでなかったら僕たちもどうしていいかわからない、と意気込む。


長男の妻は、あなたみたいな向かい方をしたらなんでも大事(おおごと)になってしまって、Aさんだって困ってしまうでしょ。あなたはAさんのためにやってるつもりかもしれないけど、自分の気持ちがすっきりすることが相手にとってもいいと思っているわけよ、その傲慢さったらないわ、と言う。


長男は、じゃあどうしろっっていうんだ、おまえみたいになんでも評論家みたいにこれは大げさ、これはそんなにたいしたことじゃない、とか言ってたら、こっちも困るがあっちだって辛いかもしれないんだぞ。第一、じゃあお前はどうするっていうんだ?


長男の妻は、少し考えて、そうね、やっぱりもう会わないっていうのが一番いいのじゃないのかしら、とあっさり言った。


朝日新聞はこういう遡上に乗っていると私は思う。そうして紙媒体という表の産業に従事する人々はこの成り行きを静かに見守っている、と。

 プロの火付け告白出るも自然発火可能性の指摘も


火付けは隊長だとの通報またはタレ込みを受け隊長のサイトに急行したところ、俺が火付けだと宣言されていた。ということは、『「しがない記者日記」のしがない騒動』by プロってことなのか。


とはいえ、一人で全部書いたかポイントに誘導コメントが埋められていたというのならともかく、なんのかんのといって、あの大量のコメントは火付け役の存在を知らず書かれているわけだし、火付けの役割はかなり小さかったのではないかと思う。逆にいえばプロなので労力を使わず、自重で倒壊するようハッパをかけたということではあるのだろうが。


総合していえば、火付け一人の告白がすべての行為を統括はできないし、操り糸ほど誘導的でもなくこの手の言辞が見つけれた場合にこうなる可能性は今日非常に高い。

冬場の異常乾燥注意報下のちょっとしたボヤを甘くみては行けません、そもそもお宅は木と紙でできてるんですからね、なんだよ。

にもかかわらずここで告白する隊長の意図はなんざましょ?


それにしても、リスクコンサルに相談に行く記者ってのが寒い。自分で言い散らかして裁判に持ち込む親方と一緒。


くだらない話の余波
http://kiri.jblog.org/archives/001379.html#more

 「しがない記者日記」のしがない騒動


「しがない記者日記」騒動まとめ
http://blackshadow.seesaa.net/article/1839535.html


裏というか、水面下というかというところではこんな事件も起こっていた。非常に簡単に言うと、本職のジャーナリストであるところの記者が、南京大虐殺がないなんて言ってるバカに一つわからせてやろう、といった態度まんまんで立ち向かったところ撃沈されたという事件らしい。


「幻影随想」さん、まとめお借りします。


ま、ひとことでいばこの記者氏があまりにも勉強不足でしょう。それにもかかわらず受験でならったか社内で習ったか知らないけど、A=Bと習ったそのままを、バカ相手に教えてやろうか、と構えているところが、私としては面白かった。まだいるんだなぁ、みたいな。


あと、非常に個人的には、私は子供の頃から教科書に書いてある記述というのは、まぁそう書かないと全体に整合性がなくなるからしょうがないのかな、みたいなへんな見取りで読んでいたようだ。

ナポレオンの記述だったかがかなんだったかが理解に苦しむもので、でもそう言うものなのかなと落としどころを見つけて読んでいたような感じ。だから文言をまともに受ける人を見るとわりと驚く。

 外回り班の記録:南京事件について


基本的には日本の国内でコンセンサスが取れるよう日本の中で発見し語られるもので勝負がついていくのがいいわけだが、背景事情として、外地にいる私が提供できるものとしてこれまでに書いたものをまとめておく。


●チャイナ の教科書 は歴史 を歪曲している
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20041209#1102574451

内容は、
China's Textbooks Twist and Omit History
http://www.nytimes.com/2004/12/06/international/asia/06textbook.html?oref=login
NYTimesの12/6/04の記事について


●TIMESアジア版:アジアの奇妙なカップ
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20041124

2004年11月。Timesに出たチャイナの教科書についての批判。

1989年 、手に負えなくなった 社会 の亀裂を 天安門事件 が露わにした時、 教育 省は 学校 教育 における、いわゆる「愛国 教育 patriotic education」の取り入れを増やし、その多くは 日本 が戦争 中に行なった惨い話に集中した。 日本 が、 中国 への直接支援として---実質的に 戦争 の賠償として---年間10億ドルを寄与していることや、 北京 や武漢の 空港 は日本 の支援で建設されたことについては何も言及せずに。

「私たちの 歴史 教育 は憎しみを教えることに焦点をあてています」

上海 を拠点に活躍している 小説家 で、 ナショナリズム がどのように国の若者に影響しているかを語っているGe Hongbingは言う。
「その憎しみはすべて 外国人 に向けて外に向かいます。特に日本人に向けてです。」


こんな記述があって、これを読んだ人々は、少なくとも、南京での事件について、これまで言われてきたこと、30万人とか大虐殺とか組織的とか、そういったことについて多少なりとも考えなおさないとだな、と思うしかなかっただろうと思う。個人的なアメリカ人の知り合いなどはすでにここまでは折り込み済みで別に不思議なしって感じだ。リベラルな人でもね。


で、こういう事情になってきていることが、日本の中では「正論」なりの雑誌にしか出ない。そうすると、それは日本の枠組みのなかで「右だ」「右翼だ」と言われているものだ、との理解から、そこに出たものを最初から際物にしてしまう人がいる。問題となった「しがない日記」氏などはまさにそうなんだろう。そんなの極右の主張だぁ、ぐらいの調子だったと拝察する。


もちろん、TimesとかNY timesだって際物の売文稼業だと言っても一応いい。また、これらの外国雑誌及び新聞をそのまま受け入れるなんてことは問題外だし、ここに審判を委ねるような姿勢は厳に戒めるべきだ。


が、それでも、だってそれでも、これらの紙面は別に極右雑誌ではない。少なくとも日本の極右万歳を言う雑誌ではない。


この時、日本の中で、南京大虐殺は国際的に認められた事件ですと言い張っている人々の言う国際的はどこにあるんだろう? 少なくとも、批判の切り口を切ってしまってる。異論の在り処に、誤ったレッテルを張って。NYタイムスが極右雑誌つーのもなぁ。このスパイラルをどうするよ?


[捕捉]
一人の地方紙記者をもって10を知る気にはなりたくないが、相当、頭が鎖国している人のようだ。でもって、他にはいない、彼の特異性であると言えそうもないところが苦しい。

まとまってたのでお借りします。「そもそも無題ですが何か?(仮題) 」さん。いいですねこの挑発的なタイトル。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15765/985206#985206

 NHKばかりが巨大な団体ではない


finalventさんが、
「NHK受信料支払い停止運動」へのご賛同のお願い
のURLを記してくださっていた。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050207


http://ac-net.org/rss/item/37946

読んだ。東大の先生のお説。なにか、足元をすくわれるほど。言葉につまるが、思いきって述べよう。


左翼、というのも世界中のthe leftに悪いと思うからそうは言いたくないので、サヨクとかSayokuとか、なんか別のいい方をしたいんだが、日本のとにかくそういう人たちって、てってーーーー的に人材払底か???


このメールが東大の左陣営であろうと目されるところから出てきたというのは、もう、気の毒すぎて隠してあげたいぐらいだ。すごすぎる。知性のかけらもない。


で、誰か「運動」の方針を決めてる人がいてそこから文書を起草してるのがまるわかりなのは、なぜこうするのか、の理由がないから。普通、起案する人はそこにこだわる。

ここ数日、上のような動きを実行したり見聞きしたりするなかで、私たちの方に理があることは日々明らかになってきたように感じます。しかし、正論を確信するだけでは、今回のNHK番組改変の深部にある問題を正しく解決するには及ばないと痛感しています。


と書きはじめたら、なぜそう考えているのかの理由が来るのかなと思うからスクロールしたが、読めども読めども、具体案の話。昨日書いた、Take Action Now!と同じだな、発想が。だけど、学者なんでしょぉおお????


感じがしてそれですむなら学者はいらんのだよ。

ここで私が考えたことは、受信料(の支払い停止)というチャンネルを通して、「視聴者に受信料の支払いを促すなら、NHKは視聴者の声を聞き入れるべきだ」という圧力をかけていくという戦略の方が、特定の意思(要求)を顕示しない不払いよりも、NHKに改革を促す草の根の力として有効ではないかという判断です。

ただ、こうした支払い停止運動が、NHKに対して脅威となるには「数の力」(受信料減という財政面へのインパクト)が重要な要素になるといえます。


なぜそれが必要なのかの説得力ある文もない、つまり理由が開示されていないのにもかかわらず、衆を頼んで「圧力」をかけることはOKと。数の力でがんばろーってか....。めまいがする。


おこがましいことながら、一応整理してみたい。理由っぽいのはここしかないかと思うくだりを以下に引用。

1月12日以降の新聞報道と1月13日の長井暁NHKチーフプロデュ−サ−の告発を機に、 NHK 番組「問われる戦時性暴力」(2001年1月30日放映)への政治介入の実態が浮かび上がってきました。しかし、その後、この問題を、「NHKと朝日新聞、どっちが嘘」といった方向にそらそうとする動きや、戦犯法廷をNHKが取り上げたこと自体が是か非かといった別次元の問題にずらそうとする動きが見られます。



(中略) しかし、今、NHKに問われているのは、番組放送前の「政治家との面談を“通常の業務”とする公共放送の構造的欠陥」(NEWS WEEK 日本版)にほかなりません。

1) NHK番組「問われる戦時性暴力」への「政治介入」の実態が浮かび上がってきました。(要論証)

2) 「NHKと朝日新聞、どっちが嘘」といった方向にそらそうという動き。
(どちらかが嘘なので検証必須だが、朝日新聞側の都合により法廷に持ち込まれる由。従ってNHKへの疑義とは言えない)

3) 「戦犯法廷」をNHKが取り上げたこと自体が是か非かを問うているのはNHKではなく一般の国民だ。(従ってNHKへの嫌疑としては不成立)

4) 番組放送前の「政治家との面談を“通常の業務”とする公共放送の構造的欠陥」。

 国民の代表者とメディアが面談してはいけないとは何に基づくのか不明。国民の代表者が公の問題について積極的に言を持って異議を唱え、賞賛する行為をしないのであったら何をするのか。さらにはその行為が不適切であった場合は議員という立場を失うという負の対価が保証されている制度下にある以上その行動に一般的に求められることは透明性であって、不接触ではないのではないか。(要論証)。

 また、News Week日本版の言によってこれを是としなければならない根拠は日本国の法の中にはない。あったとしても論争の基本としてはappeal to authorityの謗りは逃れがたい。(従って、NHKに直接向けられるものとしては不適格)


私もいい加減にやってるけど、でもそれにしてもなんか、誤謬に満ち満ちて、よたよたなんですけど。


NHKの不払い運動の前に、国立大学への資金不払い運動を提起すべきだ。でも公の教育こそ国の根幹なので、そうじゃないな、国立大学教授陣への審査要求だな。これは何も思想信条の問題ではない。知性が足りてるか足りてないかの問題だ、いやそんな大げさな問題じゃない、エッセイの試験に通らないから教授資格がないとかそういう類いの問題だ。


うわぁあああ、もう、ひどすぎ。