NHKばかりが巨大な団体ではない


finalventさんが、
「NHK受信料支払い停止運動」へのご賛同のお願い
のURLを記してくださっていた。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050207


http://ac-net.org/rss/item/37946

読んだ。東大の先生のお説。なにか、足元をすくわれるほど。言葉につまるが、思いきって述べよう。


左翼、というのも世界中のthe leftに悪いと思うからそうは言いたくないので、サヨクとかSayokuとか、なんか別のいい方をしたいんだが、日本のとにかくそういう人たちって、てってーーーー的に人材払底か???


このメールが東大の左陣営であろうと目されるところから出てきたというのは、もう、気の毒すぎて隠してあげたいぐらいだ。すごすぎる。知性のかけらもない。


で、誰か「運動」の方針を決めてる人がいてそこから文書を起草してるのがまるわかりなのは、なぜこうするのか、の理由がないから。普通、起案する人はそこにこだわる。

ここ数日、上のような動きを実行したり見聞きしたりするなかで、私たちの方に理があることは日々明らかになってきたように感じます。しかし、正論を確信するだけでは、今回のNHK番組改変の深部にある問題を正しく解決するには及ばないと痛感しています。


と書きはじめたら、なぜそう考えているのかの理由が来るのかなと思うからスクロールしたが、読めども読めども、具体案の話。昨日書いた、Take Action Now!と同じだな、発想が。だけど、学者なんでしょぉおお????


感じがしてそれですむなら学者はいらんのだよ。

ここで私が考えたことは、受信料(の支払い停止)というチャンネルを通して、「視聴者に受信料の支払いを促すなら、NHKは視聴者の声を聞き入れるべきだ」という圧力をかけていくという戦略の方が、特定の意思(要求)を顕示しない不払いよりも、NHKに改革を促す草の根の力として有効ではないかという判断です。

ただ、こうした支払い停止運動が、NHKに対して脅威となるには「数の力」(受信料減という財政面へのインパクト)が重要な要素になるといえます。


なぜそれが必要なのかの説得力ある文もない、つまり理由が開示されていないのにもかかわらず、衆を頼んで「圧力」をかけることはOKと。数の力でがんばろーってか....。めまいがする。


おこがましいことながら、一応整理してみたい。理由っぽいのはここしかないかと思うくだりを以下に引用。

1月12日以降の新聞報道と1月13日の長井暁NHKチーフプロデュ−サ−の告発を機に、 NHK 番組「問われる戦時性暴力」(2001年1月30日放映)への政治介入の実態が浮かび上がってきました。しかし、その後、この問題を、「NHKと朝日新聞、どっちが嘘」といった方向にそらそうとする動きや、戦犯法廷をNHKが取り上げたこと自体が是か非かといった別次元の問題にずらそうとする動きが見られます。



(中略) しかし、今、NHKに問われているのは、番組放送前の「政治家との面談を“通常の業務”とする公共放送の構造的欠陥」(NEWS WEEK 日本版)にほかなりません。

1) NHK番組「問われる戦時性暴力」への「政治介入」の実態が浮かび上がってきました。(要論証)

2) 「NHKと朝日新聞、どっちが嘘」といった方向にそらそうという動き。
(どちらかが嘘なので検証必須だが、朝日新聞側の都合により法廷に持ち込まれる由。従ってNHKへの疑義とは言えない)

3) 「戦犯法廷」をNHKが取り上げたこと自体が是か非かを問うているのはNHKではなく一般の国民だ。(従ってNHKへの嫌疑としては不成立)

4) 番組放送前の「政治家との面談を“通常の業務”とする公共放送の構造的欠陥」。

 国民の代表者とメディアが面談してはいけないとは何に基づくのか不明。国民の代表者が公の問題について積極的に言を持って異議を唱え、賞賛する行為をしないのであったら何をするのか。さらにはその行為が不適切であった場合は議員という立場を失うという負の対価が保証されている制度下にある以上その行動に一般的に求められることは透明性であって、不接触ではないのではないか。(要論証)。

 また、News Week日本版の言によってこれを是としなければならない根拠は日本国の法の中にはない。あったとしても論争の基本としてはappeal to authorityの謗りは逃れがたい。(従って、NHKに直接向けられるものとしては不適格)


私もいい加減にやってるけど、でもそれにしてもなんか、誤謬に満ち満ちて、よたよたなんですけど。


NHKの不払い運動の前に、国立大学への資金不払い運動を提起すべきだ。でも公の教育こそ国の根幹なので、そうじゃないな、国立大学教授陣への審査要求だな。これは何も思想信条の問題ではない。知性が足りてるか足りてないかの問題だ、いやそんな大げさな問題じゃない、エッセイの試験に通らないから教授資格がないとかそういう類いの問題だ。


うわぁあああ、もう、ひどすぎ。