文の戦争

おととい慰安婦問題について書いた時、そうだ週末にチェックしてみようと思っていたことがあった。それは、なぜ「援軍」が来ないのか、ということ。


90年代の終わりか2000年になる頃まで、こうした問題が一度問題になると必ず日本以外の外国の媒体が日本の従軍慰安婦問題について言及したところの、主張者にとっての「援軍」があった。そして援軍到来と共に再度、国際的な批判を誠実に受け止めるためにという起案が行われた。つまりキャンペーンは二段構えだった。ところがこの1か月、政府がメディアに圧力をかけたという話は朝日とジャパン・タイムスが自分で書いているし、その限りにおいてはキャンペーンの第一段は従来通りだったのだが二段目がない。散発的には「援軍」があったのかもしれない。が、メジャーなものは見受けられず、さらには、根本的な問題であるはずの「慰安婦」についての援軍はさらになかった。


これってなぜ? なぜって結局どうして書かないのかなんて個々の記者とそれを採択するデスクにでも聞かないとわからないのだろうが、でも、今朝あらためてサーフしてまわってちょっとわかった気がした。


wikiに書いてあることがすべてだというつもりもないのだが、とりあえずこれは叩き台になり得る。だからその後の展開は可能なメディアだ。


で、まずは日本語のものを見ると、

慰安婦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6

日本大学教授秦郁彦の研究では、総数は2万人程度。内訳は日本国内の遊郭などから応募した者が40%程度。現地で集められたものが30%。朝鮮人が20%、中国人が10%程度とされている。

中央大学教授吉見義明は総数を5万人 - 20万人とする説を出している。

北朝鮮朝鮮中央通信によると、朝鮮半島から強制連行された慰安婦は20万人に及ぶという(これとは別に600万人の朝鮮人が強制連行されたという。なお、当時の朝鮮半島の総人口は約4000万人)。

上海師範大学教授蘇智良の研究によると、強制連行されて従軍慰安婦にされた中国人も20万人に及ぶという。


英語版の方は、この4倍ぐらいの分量があった。
comfort women
http://en.wikipedia.org/wiki/Comfort_women


こっちは、
関東学院大学のDr. Hirofumi Hayashiによれば、20万人から30万人で、チャイナ、マレーシア、タイ、フィリピン、インドネシアブルネイベトナム、インド、Eurasians(白人との混血)、オランダ、日本、コリアン、その他太平洋の島々の現地人を含む、のだそうだ。


こうなるととても広大な話になっているのか、と考えたくもなるがそういうものではなく、むしろこの論考の結論は、軍に付随する売春婦の制度は日本に独特なものではなくて、その際に売春婦を集める中間者がいつも問題になる;軍が売春婦を管理する目的は、性病を予防を防ぐため、レイプを防ぐため、兵士の士気をたかめるため、といったもの。

また、そうしたものはフランス、ドイツ、イギリスにもあり、アメリカ軍が日本を占領する時には、Recreation and Amusement Associationなる日本政府設立の団体があった。女性たちは経済的困窮や借金のカタに応募した、とあった。


全体として、読みながら何か非常に納得させられてしまった、私、だったのだが、私でなくてもこう書かれたらある程度にせよ納得せざるを得ないだろうと思う。


おそらく使用語の傾向から執筆者は日本語話者であろうと私は推測するのだが、そんなことはどうでもいい。説得力あるよ。


1991年からの朝日新聞のキャンペーンがあったこと、吉田証言があって宮沢首相の謝罪になった(ここがとても関連している臭い感じがよく出てる)、そして秦氏がこの吉田証言が嘘であったことを発表する、という経緯にも言及しているのだが、このタイミングがどのぐらいへんだったのかというのもあらためてよくわかった。


で、こうやってひとつひとつ、それらの売春に従事した、させられた人々がいた状況とは何なのかを考えてみる作業とまったく対局にあるのは、たとえば次のようなもの。

彼女たちは通りで誘拐され、村の辻で召集され、あるいはまた偽の仕事の約束に魅せられて家から出てきた。1930年代から40年代にかけて占領地域いっぱいに広がった、日本軍の、高度に組織化されたセックス奴隷システムに押し込められるために。

従軍慰安婦と言われる20万ほどの女性たちのうち、彼等の過酷な試練を生き延びたのはわずか4人に1人にすぎなかった。多くは、負傷や疾病、狂気や自殺によってすぐに死んでしまったのだ。

(川上速攻訳)
原文は、ttp://www.thenation.com/doc.mhtml?i=20010611&s=pollitt


と、こんな具合に書かれると、まずどうやってその女性たちが売春婦になったのかという視点も、戦争中であるという事実も背後に押しやられ、なにか言うに言われぬ恐ろしいことに読者は立ち向かわされる。20万人という数字にも疑問があるしそのうえ1/4がすぐに死んだとはどういう統計なのかと私などはすぐに思う口だが、このトーンに抗えない人も少なくはないだろうう。


とてもうまい煽動と言うべきなんだろうが。


この記事は、左翼の総本山とも言うべきアメリカのThe Nationの2001年5月のKatha Pollitt氏の投稿記事。なにかNationあたりに今の朝日問題があったりして?と思って行ったが、新しいものは見当たらなかった。


で、この記事のタイトルは、comfort womenにひっかけて「Cold Comfort 」、で、もって、Take Action Now! 今すぐ行動を、という一言が添えられている。よくあることだが、まさにこの一言が、こうした記事の「性格」を物語っているのだろう。考えるよりも前に、行動を、と。しかしこの形式からは、なぜそう行動しなければならないのかを問うことはできない。


(まとめ)
・「従軍慰安婦」のイメージを恣意的に喚起させる文章が出回っていた時期には、この問題はただ「酷い話」の象徴のように取り扱われていた。その後どういう状況なのかを検証する文が出回るにつれ、従軍、軍に関係している売春施設とはどういう意味かが問われだし(国家関与=悪から、むしろ必要あって関与した)、また、売春という行為を実施することになった人々はどのように募集されたのかの経緯が考えられるようになった(国軍が強制的に徴集するというより民間人が集めている)。
・その結果、「従軍慰安婦」がもたらす酷い話」が事実であったとしても、それを一概に、あるいは簡単に日本政府または日本国の責任とすることには無理が生じ、また日本だけまたは日本人だけが特別にこの「酷い話」に関与しているとする説にも無理が生じた。


こんな感じか。

 女性に対する暴力


Violence Against Womenというのが、日本で一風変わった団体に名前を取られたせいで、この問題一般に対する理解が得られなくなるのはまずいと思う。女性に対する暴力一般に困ってるから被害にあう女性を助けましょうという取り組みが必要な状況は実際ある。


ただ、そういう団体が何をやっているかといえば、私がちょっと知ってるカナダの団体なんかだと別に女性に対する暴力を国際社会に訴えよう、などとは言っていない。


夫やパートナーが暴力をふるったらここに電話しろ、ここに相談しろ、出て行くためにはこれを準備しろ、家がないならシェルターもあるぞ、と来て、その次には、結局女性が経済的に自立していないことと、話すことのできる仲間がいないから孤立して自分だけで解決しようとしてしまうのだ、であればまずここはどうですか、あそこはどうですかといろんな支援団体を紹介し、その上で、カウンセラーだって気のあう人と合わない人もいるんだから遠慮して変えないとかいうのは駄目だよ、などとも言う。さらに、抜本的には、言葉ができなかったことが対応を遅らせる場合が多いのだから、通訳サービスもあるからまずはそれを利用して、同時に自分も学べと無料のスクールを紹介され、その次には適宜職業訓練があって、レジメを書いて応募して、その間不満足な仕事だとしても「サバイバル・ジョブ」(生きて行くために不本意ながらもつく仕事)をこなせ、それだって生活の体験なんだ、バカにしたものじゃないぞ、そこで広げるネットワークがあなたを助けるかもしれないんだから、と、要するに、とにかくハッパをかけ激励するためにこそあるようなものに見える。どこにも、ではいったいその暴力は誰のせいだったのか「人民裁判」で犯人を探してみましょう、などといった取り組みが案内されたことはないと思う。


当たり前だ、目の前で今現在暴力によって困ってる人を助けようという取り組みなんだから。


そういう人はこのへんに電話するように、というページはこんな感じ。
Violence Against Women (VAW)
http://www.fsatoronto.com/programs/vaw/centres.html


ま、アムネスティなんかが、これらローカルな活動と「グローバル」な活動の結節点になっているかなとは言えるから、その意味でグローバルなフェーズと全く関係ないとは言わないが。


Women and war
http://web.amnesty.org/actforwomen/conflict-index-eng

 女性基金解散:まったく何だったのだ


[女性基金]「何のための事業だったのか」
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050205ig91.htm

しかし、もともと、この「基金」が創設された経緯には、歴史の歪曲(わいきょく)が大きく作用していた。


まったくだ、だが、1月24日に書いた通り、このへんで手を打てる気がしていた日本の甘さが現在をもたらしたのだろう、やっぱり。自分もその一人だったなと思う。どうあれ悲しい目にあった人がいて、その人たちの気が落ち着くなら、ちょっと法的にはどうかなと思ってもそれでいいのじゃないのか、ぐらいに私は実際思っていた。反省する。世の中それが通じる人と通じない人がいるのだと理解するのが遅かった。
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20050124#1106584204


このため、韓国などでは、いわゆる従軍慰安婦はすべて「強制連行」であることを日本政府が認めたというように受け止められた。また日本国内でも「強制連行」への「償い」をすべきだという運動が勢いを増した……という経緯により、「基金」が設立されたのである。


「……」というのが泣かせるものがある。そう、実際印象とムード以外にないのだ。

が、これは韓国だけの責任じゃない。むしろ日本人の学者が火をつけてまわっているのだが、その主体者の意図を見抜けなかった私を含む私たちの根本的な発想、ないしはこの問題に対する受け止め方は、上のような、まぁそれでいいならそうしときましょ、という曖昧なものだったといっていいと思う。


だから、ここで私たちは方針を確認しないとならない。まず、他人とか国際社会のせいにしない。朝日をはじめとする国内の活動を厳重に精査すべきだし、詐称、作為があったのなら相応の処罰を法にのっとってすること。そのうえで抗議すべきを抗議し交渉すべきを交渉する。そうでなければ、見えない敵=恐怖=国際社会と戦うような気分に国内が陥る可能性があるのじゃないかと思う。それは、欧州情勢奇々怪々と言わしめたオフサイドトラップへの道につながると私は思う。開けておくこと、透明性を高めること、その中で原則を曲げないこと、これぐらい強い危機管理はない。


そういう意味からも、大メディアのクロスウォッチは今後もまったく必要だ。文に戦争させたないために。


雑駁にいって、私が非常に心配するのは(自分のこととしても)、この特別に過去にこだわる人々に関わったおかげで、日本の国内世論全体がうらみがましくなったりくどくなったりしていくこと。これは避けたい。こんなものからは何も生まれない。