先人の無念を思うのなら冷徹でありたい


田母神俊雄・元航空幕僚長による「論文」について、何かこう、見たくないものを見せられているような気はちょっとしつつ、成り行きを見ていた。

読みましたよ、論文。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf


見たくないもののような気がしたのは、まずなんといってもその「論文」なるものの稚拙さ具合といったらああどうしましょう、だったことかな。もう少し、ほぉ、と読ませるものならまた私の受け取り方も違ったかもしれない。

朝日新聞田母神論文を批判できるのか
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/df3e160b0aedef2f3a173effebdd8dbc


他にもみなさんいろいろ詳しくご指摘だろうが、池田先生が指摘されているのを拝見したのでリンクさせていただく。

特に、VENONA文書についてのパラグラフについて私も、まったく、と思った。この文書の存在が明らかになり解読が進められたことによって、従来から噂されていたハリー・ホワイト財務次官が対ソ協力者であったことは多分間違いはない、とこまで来たものの、それがすなわち彼は「コミンテルンの指示」で動いていたと読むのは、いわゆる、don't jump to the conclusionってやつざましょう。結論まで持っていけてないのに飛ぶなよ、と。

最終的に決定を下しているのは米国政府だという点をどう考えてるんだろうか、この高級軍人さん、など私は思う。誰が謀議を図ろうとも、その名によって交付せしめられているという点をごまかしてみても、どうにもならんと思う。

むしろ、この文書の使い道というのは、ルーズベルト大統領ごと、米国民も日本国民も、私たちはみなソ連とその協力者に嵌められていたのです、そうではないですか、と諸国民に告ぐ、みたいなトーンで仕立てる方向にこそ意味がある、ってな感じじゃないのかしらね。何年か前にアメリカで出ていたFDRとはそういう意図だったのじゃなかった? 

しかし、田母神氏にはそこまでの論を張る意図もなければ力もなさそうだ。従って、適度に、要するに、日本は悪くなかったといいたいがために使ってしまったということか。これではやっぱり半端にならざるを得ない。学部の中間レポートみたいな「論文」になったのはもって構想力のなさだと思うし、そういう訓練をしたことがないのだろう。査読してくださる先生はいなかったのか。

我が邦の航空幕僚長なる高級軍人の「論文」がこれかい、ってので私はすったまげる。これはいかんよ、これは。


それにもかかわらず、あるいはそれはそれとして、もしこのおじさんが個人でそういいたかったのならそれはそれれでそうする権利は彼にはあるし、私はそれを支持するよ、ではある。

が、しかし、微妙だなと思ったのは、これが該当する軍の全体または一部でこの人がこの考え方で影響を与えていたとしたら、つまり、職権を濫用していたとしたら、個人の自由ではすまんよな、とかは思った。といっても、イデオロギー的に右だから左だから影響させてはいけないという話ではなくて、この稚拙な頭で影響させるのかい、ということの方がもっと危険だという点からです。中身じゃない、真理追究法の形式に誤りがある。このあたり、我が邦のかつての軍人の悪しき例を見ているような気もする。説得力を持つ形式の軽視、真心重視みたいな。
高級軍人に求められるものは祖国愛にガイドされた知性であって欲しいっすよ。


それにもかかわらず、の、その2として、日本だけが悪いと言われるのは心外だ、みたいな感情は良く、非常に良くわかります。
この点に関しては、私の真心も氏と同じものかもしれない。


折りしも、11月11日は第一次世界大戦終結を記念日で、それにちなんで、カナダではこの日はベテランズ・デー、つまり退役軍人の人たちを顕彰するの日、となっている。それに先立つこと約1ヶ月、人々は元軍人さんたちがあちこちで講演みたいなのをしたりなんだりかんだりで、人々はカナダのために戦った人々に尊敬を向ける。

軍を持つ国民としては何ほどかこうあって欲しいという感じがここにはある。


で、それもこれも、カナダは戦勝国リーグの国だからこういうことをなんの衒いも躊躇もなくやってのけられる。冷静に考えれば当時外交的に独立していたとはいえない、別にカナダ相手に侵略していったっつーのでもないのにカナダに敵扱いされて悪玉にされるドイツ人(そして日本人)とか噴飯ものだろうなとはまぁ思う。結局あんあら、むしろイギリスの植民地だったことを誇ってるかのようだよな、と見えないこともない。だって、戦争に参加しないという強いオプションはあったの?だから。

とはいえ、カナダとしては、実はその第一世界大戦での奮闘があったればこそ、大英帝国リーグ内での確固たる地位を築き、後の第二次でその地位が確立し、本当に独立していったという流れなので、軍人さんたちはカナダのために戦ったというのは本当。ただし、そんな内部事情で敵にされた側は、何か理不尽なものを感じてもまったく無理もないだろう。オーストラリアの事情も同様。


で、このように、今そこに本当にある危機、当事者としての危機のために立ち上がって戦争に突っ込んでいったわけではないからこそ、北米2国+オーストラリアにおける「敵」の姿は常に一様に不気味なまでに、時間軸、空間軸を飛び越えて「悪」である必要があるんだろうなぁ、など思う。つまり、プロパガンダ合戦で敵の像を構築しないと動機がないから人々を動員させられない。でもって、すぐにほころびてしまうので、常にやってないとならない、みたいな感じでここまで来てる、と。

しかも、この戦勝国、敗戦国体制は今に至るまで世界組織を形作る上での根幹みたいなものだから、それを維持される限りこの区分は必要みたいだ。

でもって、最近、ブレトンウッズ2なんてことがかまびすしく言われるわけだが、それにしたってどうやったらアジア勢の影響力を抑えながら、欧米チームが世界をコントロールするかに腐心しているわけで、ま、この区分がきれいに崩れることは現状期待できない。


期待できないからといって、じゃあ、60年前の敗戦国は唯々諾々とすべてを承服しつつ生きるしかないのか、といえばそうでもあり、そうでもなく、なんじゃないでしょうか。


というのは、「日本は侵略国家であったのか」(論文タイトル)という問いを、論文内の趣旨にあわせて「日本だけが侵略国家であったのか」に読み直すと、いまどきそんなことを本気にしている人も少ない、という現状が世界的にはあると思うから。


まったく関係ないけど、ぐっちーさんの昨日のエントリーで、アメリカにおける世代ごとの対日感みたいなのが上手くまとめられたいた。マケイン世代の人にとっては、自分たちが戦勝国ばりばりの気分が抜けず、その次の団塊の人は、いろいろなんだけどやっぱりそれを引きずり、その次、今50前ぐらいの人たちから下はみんな、かなり、なんつーか、そういうアメリカ観では生きてない、と。私もだいたい同意しますね。


CHANGEからCHANCEへ
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/debfc2ad1d640088d057b27bea4afdb0


で、「日本は侵略国家であったのか」問題も、こうした流れの中で解決していくべきもの、というのではなく、そう解決されていくのが私たちにとっても彼ら(不特定だが)にとってもいいと思うのね。味方してくれる人たちが増えて来ることこそ私たちはすべきであって、自分から無罪論をぶちあげてみても、あんまり効かないと思うのよ。いずれにしても、どういう動機であれ、誰かを傷つけるという行動を取ったわけだしね。ま、そうなるために遠まわしでも、きちんろ反論すべきところは反論し、奇妙な見解を構築されないよう多少の工作をするといったことは必要だと思うけど。
とりあえず、諸国民の信義を信じてるよ、私は。