2004/02/11 (水) 訳のわからない言語を操る人であふれている

完璧なガイジンになってしみじみ考えたのは、もしこれと同じことをアメリカ人相手にやったらどうなるのかということ。

日本を訪れた、観光気分一杯のアメリカ人の普通中の普通のおばさんのハンドバックを開けて、足をあげろ、手をあげろと命令し(絶対に日本語などその地の言語で)、股の間から、足の先まで金属棒を通されて、ベルトに反応した金属探知のためにシャツをめくりあげさせる。こういうことをされる気分がどんなものかは、やられた側にしかわからないと思う。

私にしても、前にもアメリカの空港であったことはあったが、今回は、そうされない、少なくとも対応が違う人、ガイジン枠すれすれでガイジンではないらしいカ淵世離僖好檗璽箸如△?帖?鮨佑箸い?佑醗貊錣世辰燭燭瓩法△覆?気蕁△△◆△海痢嶌后廚砲茲辰討茲?錣?辰拭?修靴討海痢嶌后廚?△襪?蕁△海旅堝阿亘楴租?剖?舛??舛Δ襦峇躓_麋髻廚箸呂匹海?磴辰討い襪里世箸茲?錣?襦

前にブラジルがやっている記事を読んでエライ!と思ったが、これは世界中で実施されるべきだ。これから機会あるごとに私はこれを訴えようと思う。

そう訴えようとする私は、結構アメリカが好きなんだろうなと思ったりもする。だって、これは間違っている、よくないよ、と言うのなら、それはほかならぬアメリカの価値を信じているからだ。もしそうでないのなら、それは例えば、旧ソ連、中国相手に、間違っていると言う人はいなかったのと同じように、ここはどうしようもないのだとただ諦める。

で、逆に思ったのは、そうか非常に多くの日本人もその他ヨーロッパ勢も、実際には既に大分諦めているってこと。こんな国だもの、と。

それにしても、トロントの空港に降りた時の安堵感は、なにか笑えるほどだった。ここは私の国ではから、私は日本から帰ってくる時には別に落ち着いたりはしない。だからこの安堵感は本質的な私の帰属意識の問題ではない。また、利便性の問題でもない。

空港は汚いし、外は雪だから人びとの手足もよごれている。人びとの顔は雑多だし、訳のわからない言語を操る人であふれているし、行動もぐじゃぐじゃ、何にもいいことがない。が、そんなものでは変えられない価値がここにはあると、それがよくわかった。

安心とは多分、もし「へんなこと」があったら、「言える」と思える感じだろう。

比較してみれば、アメリカの中は軍隊教育実施中みたいだ。