『ラスト・サムライ』私たちの2つの物語

■2004/02/13 (金) 『ラスト・サムライ』、私たちの2つの物語


先月に書いたのですっかり半分忘れていましたが、萬晩報さんへの投稿が掲載され、とてもうれしい私。

ラスト・サムライ』、私たちの2つの物語
http://www.yorozubp.com/0402/040213.htm

いろいろ言う前に、文中不用意に「?」が見えますが、これは、最初の1か所を除いて、全部、「−」、ダーシです。化けてますね。私のテキストが不整備だったために起こったことです。どうもいかんのだな、私のwordで書くとこういうことが起こる。私のマシンは実は完璧な日本人ではない(笑)、実はガイジンの上に日本語を無理矢理載せているからでしょうか? 言うまでもなくOSが英語版でそこで日本語を使ってるってことです。

さてさて、で、ラストサムライ、ものすごく腹を立てて、にがにがしくも、臥薪嘗胆を誓う、みたいな気にさせられた映画でした。

こうやって日本人のアイデンティティをぐさぐさにして、また訳のわからない方向に突っ込んでいくそのためにこそあるような映画だと思えた。

また、今後、東アジア地域での悶着をひかえる私たちとしては、日本という国を自分で語れる要員を準備しておかなかったら、またまた言われっぱなしになる。そして世界中で作られたイメージにそって日本人の側がそれにあわせていくということが繰り返されるでしょう。

そうならないためには自分で自分たちの話ができなきゃだめだ。イギリスをはじめとした欧州勢の手の平で踊った過去も、アメリカを含んだ欧州勢にやられたくさいな太平洋戦争というのもある。ついでにいえば、1543年種子島鉄砲伝来はいかになんでも呑気な解釈だろうというのも本当だろう。サンディエゴで偶然スペインのミッションの話を読んで、こらもう同じ戦略の中だわな、とそうとしか思えなかった。

で、そういうのを読んでいちいちリアクションを起して、結果として、どうせ私らは属国よ、と意気消沈することも必要。でも、それで終わるわけにもいかないのがやっかいないところだ。意気消沈するというのは男に騙されたからもう死んじゃうというのと同じ。だけど、もし生きていこうと思うなら清算と今後の方針をたてないとならない(やけに卑近な例題だけど別に実体験ではないです)。私たちの今はそういうところだと思う。

属国ブームよ、さらば、と私は考えている。でも、reviewするために一回は浸かってもいいと思うけど。