アメリカに行ってきた話総集編

■2004/02/11 (水) 異論が許される感じがしなかった街々
トロントに帰って来たらそこは雪の国。
西海岸のサンフランシスコは春模様、そしてロサンゼルスを超えてサンディエゴは、トロント人の標準では5月。いや、6月になんなんとする春ももう夏に向うような陽気。
これを同じ日だとどう考えればいいのだろうかと、身体といわず目と言わず耳といわず感覚器官の混乱を収集しきれずに暮らしています。

アップデートが遅れてすみません。残務整理みたいにばたばたしてますです。

私としては忘れないようにメモをしておきたいことがいっぱいあるんですが、わけても、ニュース報道の「感触」の違いは大きい、この違いをリアルで体験できたことがとても収穫。

もちろん、滞米経験もあるし、こっちでもCNNを見ているしアメリカの報道ものに曝されれているわけで、はじめて知った話ではない。

しかし、やっぱりだからといって驚かないわけではまったくない。それはつまり、こっちにいる、あるいは日本にいるって人にとっては、アメリカの報道というのは、one of themだ。アメリカはそう言っている、と。

が、あの中にいると、あれしかない、それはそうなんだが、そうなった時のニュースに対する感覚の推移というのは、経験する価値はあったなと思いました。あの中で、イラクとか、やっぱりこの状況はマズイとか、どうやったら世界はアメリカの一極支配から抜け出せるのか、とか、そんな話が展開できそうな感じが全然しない。

だいたいそういうことを言っていい感じがないだけではなくて、文字通りにそれは恐ろしいことだとも思えた。こっち(カナダ&日本)にはない恐怖体験ですね、これは。そういう意味では異論のチャンスは人びと(アメリカ以外で)考えているよりも余程小さいと思える。

またそれは、ネット上での異論の機会というのは結局それほど実効値には繋がらないのだなっていう感触でもある。

まとまらないですが、そのへんのことを今後書いて行きたいと思います。