これしかない、いつもそんなだった

「国連は日本を守らない」 首相、米支持の理由で表明
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040127-00000192-kyodo-pol

これを見た瞬間思い付いたのは、学級会はオレをお守らない、だか
らオレはジャイアンに付く、ってなこと。

国連って、別に実行主体なわけではなくて会議なんだから当然じゃ
ない?と思うわけだが。

で、こういうことをへらっと言えて、わりと多くの人がこの路線を
是認できるとしたら、日本というのは実は今もって1867年の逡巡
から一歩も外には出ていないということなのではないかと思う。

それはたとえば、漱石の「こころ」を思い出させる。あれは、個人
道徳の問題として読み解くべきものなのだろうが、「裏切り」が人
を作り崩壊させていくという社会状況の方をも見事に捉えていたも
のなのではあるまいかと今の私は考えている。そして、私が容易に
考えつくこのことを、明治時代に日本にいた大多数の人びとは気づ
かなかっただろうとも考える。それはつまり、私や今の私たちは、
容易に、海を超えて他者の視点の中から日本を見る事が可能だが、
当時の人にはそうした芸当を可能にするきっかけはなかっただろう
からだ。しかしあった人びともいて、それはさぞや苦い味がしたこ
とだろうと思う。

このへんの問題を文化の違いという言語で括って来たのは私は間違
いだったと考えている。これは歴史であり、そしてアイデンティテ
ィの問題だ。