中国:人口の0.5%が全国個人資産の60%を所有

中国:人口の0.5%が全国個人資産の60%を所有
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/flash_rss/418034

BCG北京の副総裁によると、人口の0.5%に満たない個人が全国個人資産の60%以上を所有しており、これら富裕層のうち、70%以上が50億ドルを越える個人財産を持っているという。


アメリカを抜こうという意志が堅いということでしょうか(笑)。


しかし、これってホントなのか? ま、誤差はあるにせ近似値としてはありなのかなとは思えなくもないけど、いやぁああ、すごすぎる。


とりあえず、ある一節を思い出したので書いておこう。


アメリカの収入の上位10%と下位10%の差はその他の先進国よりも大きく、北欧諸国の2倍。しかし、その下位10%はその他の同様のグループ(文脈からその他の先進国)と比較してとても厳しい状態におかれているわけではない。ということはなぜアメリカにおいてこの差がここまで大きいのかは、上位10%がとてつもなく金持ちすぎるからだ。

(The Right Nationで読んだ。出所は、The Ecoonmist。
"Do You Like Your Class War Shaken or Stirred, Sir?" Economist, September 4, 2003)
why.htmlThe Right Nation: Conservative Power in America

なのだそうで、だからといってとてつもなく二局化していることには変わりはないんだけど、非常に貧しいと分類されるひとにも敗者復活的心理があるから、アメリカの社会というのは全体としては、この差を縮めるべきだという点にフォーカスが置かれないというのが同書のこの章の一つの結論ではあった。つまり、流動性が高いし、自分も上のグループにのし上がるという意志を持った人がどうあれ多いし、それでいいと思っているひとがこれまでのところでは多いんだということ。アメリカに住んだ人なら大抵肌身で知ってる結論かなという気はする。


この本のデータはとても興味深いので(つか、結局翻訳書でなかったのだろうか?)、いろいろ書きたいが、いや、今日はそこじゃなくて、チャイナって、ひょっとして、そのうち共産革命が起こるんじゃまいか、など言いたかった。どうするんだろう。そうしたら・・・。第二次革命とかなるのかな。


でもって、ここ10年ぐらい潜伏を余儀なくされていた世の中のコミュニストたちが、こぞって、そうらみろ、資本主義が行き過ぎたところで起こるはずだったんだ、と言う、と。


しかしそうなった場合、アメリカのモデルが反証になってしまう。そうなった場合に得られる説明の一つには、結局のところ慣習法的に培われた社会思想の方が貧富の差よりも大きいというアプローチが含まれることになるのかな。私は今現在でもそっちの方に興味を持つので、そうしたら楽しい。


しかし、第二次革命を支持するか? いやぁ。できません。それは私としては個人のモラルに反するもの。


世の中は動いてまっせ。

 中国の不動産、空室率は26%で危険ライン超え


中国の不動産、空室率は26%で危険ライン超え
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/const/418033


ついでにぐるぐるしたらこんな記事が出ていた。日経さん、今年の前半ぐらいまで行け行けチャイナだったと思うんだけど、このところかなりクリティカルなネタを出しているように思う。それが恐い。

 農村開発を世界市場に結び付ける


で、その中共様は、経済ブームの背後のおかれた農村を開発して世界市場に繋げるぞキャンペーンをするらしい。人民日報さん。


China trying to link its new campaign for rural development with world market
ttp://english.people.com.cn/200512/19/eng20051219_229075.html


コリアンファーマーたちはどうするんざましょ、など思ったりもするがそれはそれとして、しかし、どのように?という疑問はとてもつきまとう。資金もそうだし、水がものすごく大変らしいわけだが、それはどうなんだろうなぁ。ま、間に合うのか。


つか世界マーケットはどこかというのもある。工業製品ならコピーで対応しつつ(笑うが)自力を付けていって、低価格製品から中程度のところまで押し上げるモデルがあって、その販路は主にアメリカ、そしてヨーロッパと大きくて豊かなマーケットがあった。が、しかし、農産物は、この二大マーケットは両方とも農産物は結構足りてるぜ、その上かたっぽは超がつくほどのうるさ型(好きだが)。となると、日本に買えってなるのか。

 ベトナム・コーヒー


チャイナではないのだが、そういえば、コーヒーで食ってる国の多い中南米にとって歓迎しかねるものとしてベトナムがコーヒーを作り出したという話もある。


ブラジルとかコスタリカとか、コーヒーの歴史は涙の歴史みたいな感じもあって(そもそもそれが故の奴隷、後はそれしか作れない、作りすぎて暴落云々)、そういう農民を助けるために北米とかヨーロッパのNGOのひとなんかが、直接農民と取引きをして、フェアなトレードをして、つまり中抜きで巨大な富をあげるメーカーを排除してなんとか現地のためになりましょう、みたいな動きをここ何十年だかやっている。「フェアトレード」というブランドに気付いている人も多いでしょう。で、サンフランシスコというかバークレーあたりのピーツコーヒーはそのある種の伝説っつーか、発祥の地みたいな位置らしい。観光名所だけじゃない。(個人的には、とてもおいしいという点で、そういうことがなくてもここは素晴らしいと思うっす。ほんとにおいしい。)


さてそこで、ベトナムのコーヒーが突如参入したことによって、中南米の人の気分のいいわけもない。東アジアらしいといえばらしいわけで(日本をのぞく)、品質の悪いローバストの中のさらに質の悪いコーヒーを大量に生産してシェアをあげたらしい。だから住み分けということもあり得るのか、など思ってもみたが大国ブラジルの生産量もあがったりしている由(供給過剰で値が下がると逆に過剰に作って稼ごうとする、という構図のようだ)。



で、昨日、別の筋から「反グローバリズム」は分解するんじゃないのかと書いたが、このへんにも亀裂があるのじゃまいか? マメに見て行ったらいろいろありそう。



ぐぐったら、朝日がこのベトナムコーヒーを書いていた。亀裂に気付いてないというか、関係ないのかこのひとたちは・・・。


ブランド化、模索中 隠れたコーヒー大国ベトナム
http://www.asahi.com/business/topics/TKY200512180070.html

ベトナムがブラジルに次ぐ世界第2のコーヒー輸出大国であることは、あまり知られていない。生産の本格化はベトナム戦争後と歴史が比較的浅く、インスタントコーヒーなど加工用が多いからだ。ただ、輸出が急増したため、他の生産国から「国際価格暴落の元凶」と激しい批判にさらされた。そんな中でカフェチェーンを大規模に展開する新手のコーヒー企業が現れ、「ベトナムコーヒー」の品質向上とブランド確立の旗を振っている。

これを見ると、ブランド確立まで考えてるってか。つーことは、う〜ん、それってまるまる中南米モデルのコピー戦略じゃまいか。なんだかなぁ、と思うよ、私は。


<参考>
What is Fairtrade?
http://www.oxfam.org.au/campaigns/mtf/coffee/fairtrade/index.html

The roots of the problem
http://www.fairtrade.net/sites/products/coffee/



<捕捉>
上で、やり方までコピーかと書いた事への捕捉。バークレーの「ピーツコーヒー」以来(ほんとにここが一番先なのかは私はよくわからないが、少なくとも先陣の1つではあるようだ)、そうかコーヒーは豆がどこから来て、どんなひとが作ってるのかを考えて飲もうじゃないかというわけで、上のFairTradeだけでなく、それなりに選んで売る、コーヒー屋が自分たちで豆を仕入れるみたいな道が、いわゆるヒッピーな人々の手によってはじまった。そして、北米で今ちょっとかっこいいかもと見えるコーヒースタンドというのは、昔からずっとあったという代物ではなくて、むしろそのために、そういう豆を扱って、そういう考えに共感して経営した結果のものであるようだ。つまり、結構な量の人々の理解および善意が含まれているといっていい事象の結果がコーヒー屋で、それがチェーンみたいに見えるとしても、始発点は違うと。

 それに対して、今「ブランド確立を」という手は、この欧米(殊に北米)でのコーヒー屋のあり方を「スタイル」として移入して流行らせようというものであるように見える。アメリカで人気のスタイルとしてのコーヒー屋。であれば、二番手としての戦略としてはつまり安いコーヒー豆を仕入れて、割安で、ということになるだろうか。ということは、思想も食っちゃったみたいな感じになるだろう。

 個人的には、これも自由貿易のうちだと言ってみたい気もする。また、もちろん、仏作って魂入れずになるかそれとも、まずは仏、後で魂も、になるかはわからんわけだし、なにが幸いするとも限らない。が、私が懸念するのは、この問題はそれではすまないのではないかという点。そうした、コーヒーに関しての背景をおそらく無視していくであろうやり方で東アジア発のなにものかが出回った場合、それはこれまでのヒッピー由来の、異文化歓迎、マイノリティ擁護のモデルを打ち壊すのに十分なインパクトを持っているのではないのかというところ。簡単にいえば、アジアの一部は確実にこのモデルから排除されていくだろうということ。杞憂であってほしかったりはするわけだが、コーヒーというのは日本では考えもつかないほどに北米の生活においては身近なものなので(それしか飲み物がないとさえ言える)、そしてまたヒッピー由来だからなんなのか若いひとに限ってこのへんのストーリーをよく心得ているという点が、とても気になる。


気にはならないが興味深いのは、朝日新聞があれほど愛してやまなかったやに見えるアメリカのデモクラッツたちに後ろ足で砂をかけるがごとき位置に入っている点か。