ベトナム・コーヒー


チャイナではないのだが、そういえば、コーヒーで食ってる国の多い中南米にとって歓迎しかねるものとしてベトナムがコーヒーを作り出したという話もある。


ブラジルとかコスタリカとか、コーヒーの歴史は涙の歴史みたいな感じもあって(そもそもそれが故の奴隷、後はそれしか作れない、作りすぎて暴落云々)、そういう農民を助けるために北米とかヨーロッパのNGOのひとなんかが、直接農民と取引きをして、フェアなトレードをして、つまり中抜きで巨大な富をあげるメーカーを排除してなんとか現地のためになりましょう、みたいな動きをここ何十年だかやっている。「フェアトレード」というブランドに気付いている人も多いでしょう。で、サンフランシスコというかバークレーあたりのピーツコーヒーはそのある種の伝説っつーか、発祥の地みたいな位置らしい。観光名所だけじゃない。(個人的には、とてもおいしいという点で、そういうことがなくてもここは素晴らしいと思うっす。ほんとにおいしい。)


さてそこで、ベトナムのコーヒーが突如参入したことによって、中南米の人の気分のいいわけもない。東アジアらしいといえばらしいわけで(日本をのぞく)、品質の悪いローバストの中のさらに質の悪いコーヒーを大量に生産してシェアをあげたらしい。だから住み分けということもあり得るのか、など思ってもみたが大国ブラジルの生産量もあがったりしている由(供給過剰で値が下がると逆に過剰に作って稼ごうとする、という構図のようだ)。



で、昨日、別の筋から「反グローバリズム」は分解するんじゃないのかと書いたが、このへんにも亀裂があるのじゃまいか? マメに見て行ったらいろいろありそう。



ぐぐったら、朝日がこのベトナムコーヒーを書いていた。亀裂に気付いてないというか、関係ないのかこのひとたちは・・・。


ブランド化、模索中 隠れたコーヒー大国ベトナム
http://www.asahi.com/business/topics/TKY200512180070.html

ベトナムがブラジルに次ぐ世界第2のコーヒー輸出大国であることは、あまり知られていない。生産の本格化はベトナム戦争後と歴史が比較的浅く、インスタントコーヒーなど加工用が多いからだ。ただ、輸出が急増したため、他の生産国から「国際価格暴落の元凶」と激しい批判にさらされた。そんな中でカフェチェーンを大規模に展開する新手のコーヒー企業が現れ、「ベトナムコーヒー」の品質向上とブランド確立の旗を振っている。

これを見ると、ブランド確立まで考えてるってか。つーことは、う〜ん、それってまるまる中南米モデルのコピー戦略じゃまいか。なんだかなぁ、と思うよ、私は。


<参考>
What is Fairtrade?
http://www.oxfam.org.au/campaigns/mtf/coffee/fairtrade/index.html

The roots of the problem
http://www.fairtrade.net/sites/products/coffee/



<捕捉>
上で、やり方までコピーかと書いた事への捕捉。バークレーの「ピーツコーヒー」以来(ほんとにここが一番先なのかは私はよくわからないが、少なくとも先陣の1つではあるようだ)、そうかコーヒーは豆がどこから来て、どんなひとが作ってるのかを考えて飲もうじゃないかというわけで、上のFairTradeだけでなく、それなりに選んで売る、コーヒー屋が自分たちで豆を仕入れるみたいな道が、いわゆるヒッピーな人々の手によってはじまった。そして、北米で今ちょっとかっこいいかもと見えるコーヒースタンドというのは、昔からずっとあったという代物ではなくて、むしろそのために、そういう豆を扱って、そういう考えに共感して経営した結果のものであるようだ。つまり、結構な量の人々の理解および善意が含まれているといっていい事象の結果がコーヒー屋で、それがチェーンみたいに見えるとしても、始発点は違うと。

 それに対して、今「ブランド確立を」という手は、この欧米(殊に北米)でのコーヒー屋のあり方を「スタイル」として移入して流行らせようというものであるように見える。アメリカで人気のスタイルとしてのコーヒー屋。であれば、二番手としての戦略としてはつまり安いコーヒー豆を仕入れて、割安で、ということになるだろうか。ということは、思想も食っちゃったみたいな感じになるだろう。

 個人的には、これも自由貿易のうちだと言ってみたい気もする。また、もちろん、仏作って魂入れずになるかそれとも、まずは仏、後で魂も、になるかはわからんわけだし、なにが幸いするとも限らない。が、私が懸念するのは、この問題はそれではすまないのではないかという点。そうした、コーヒーに関しての背景をおそらく無視していくであろうやり方で東アジア発のなにものかが出回った場合、それはこれまでのヒッピー由来の、異文化歓迎、マイノリティ擁護のモデルを打ち壊すのに十分なインパクトを持っているのではないのかというところ。簡単にいえば、アジアの一部は確実にこのモデルから排除されていくだろうということ。杞憂であってほしかったりはするわけだが、コーヒーというのは日本では考えもつかないほどに北米の生活においては身近なものなので(それしか飲み物がないとさえ言える)、そしてまたヒッピー由来だからなんなのか若いひとに限ってこのへんのストーリーをよく心得ているという点が、とても気になる。


気にはならないが興味深いのは、朝日新聞があれほど愛してやまなかったやに見えるアメリカのデモクラッツたちに後ろ足で砂をかけるがごとき位置に入っている点か。