気候には勝てないかもしれない

ようやく暖かくなってきて、少しは暮らしやすくなった今日この頃。しかしあと3週間は油断できない、というのがここのrule of thumb。経験則的には、5月のビクトリア・デーまでは油断できない、雪が降ることも有り得るんだから、など言うわけだす。


日本的に考えると冗談のようだけど、ここの寒さというのは本当に半端でない。いらっしゃる方は、気温を見て判断すると間違うというのを肝に銘じられるようにお勧めしますです。北部のヨーロッパとかでも同じだと思いますが、暖かいというのは太陽が照っているから、に過ぎず、空気、地面は冷たいままだというのが5月です。だから、日が沈んだり、日陰に入ると、思いっきり冷える。綿製品じゃ太刀打ちできない冷え方だったりします。

で、こっちの人の格好を見ると、それにもかかわらず薄着しているように見えるわけですが、しかし、脱がせてみれば(笑)、その薄着の中身は日本とは若干違いますね。まず、肌着が日本で売ってるよりも暖かい。または、分厚いとも言いますが、パンツからTシャツ、普通のシャツの果てまで、要するに綿が重くて、あんまり通気性に優れていないものが主流というかスタンダード。

だから、例えば、この時期は「Tシャツに綿シャツで大丈夫よ」といっても、トロントで一式買うのと東京で一式買うのとでは暖かさ/涼しさという点において違いがあるかも、と思っておくのはいいアイデアだと思う。デザイン的には同じようでも、真夏に東京から持って来た服は早く着ないと、8月末ぐらいになるとなんだかすーすーして着られないと思ったことが何度もあった。

アメリカン・コットンなるもるものによるTシャツって、分厚くてダサいでしょ~~; あれはでも、北米北部ではあれが最も快適可能性が高いんだと思う。


夏になると、通気性に優れた素材で、日光を遮るよう長袖を着ているインド人その他南アジアの人のそばで、殆ど裸かというようなタンクトップ(分厚い綿の)にミニスカート着用の暑そうな白人の女性を見る機会がそこら中にあるんですが、しみじみ、文化の違いを感じるし、気候、地理による影響が人の日常の「普通」に及ぼす影響というのは、場所を超えても、おそらく、大きなきっかけ(限界値に行き当たるとか、強力な推奨を受けるとかいうモメント)がないと変化しないものなのかなとかも思う。


で、そういうのを観察しながら思うのは、日本って何ほどか南方的特性にあふれたところだろうか、ってこと。何回も書いている気がするけど。ただ、西日本に中心を置いて文化を綴るせいで、北東部日本は本来そうじゃないだろう、ってな文化を自分のものとしているようで、あんまり身の丈にあってない歳時記および文物で暮らしてないかぁ?とかも思う。