心配する米国人


日本政府も日本国民も特に目立った心配をしていない(ってこともないのだが)一方で、米の方では、今後の軍事同盟関係について割りと深刻なことを言っている人がいる。

最近では、デニス・ワイルダーさんという、元大統領(ブッシュ政権)特別顧問だった人がG20前に、「G2」と騒ぐのはよろしくない、これはアメリカの従来の同盟国との関係を台無しにする、それは高くつくぞと警告めいた意見をワシントンポストに出していた。


How a 'G-2' Would Hurt
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/01/AR2009040103039.html


以下、適宜かつまんで概略を試訳すると、

オバマ大統領は、ワシントンはチャイナとG-2という特別な関係を形成する意図はないとG20の席ではっきり世界に言うべきだ。

米国がチャイナとフランクに話し合える環境を作るのは勿論いいことだ。しかし、拡大するチャイナとの経済協力をG-2と呼ぶことで、アジアにおける長期的な友人たちとの関係で、米国は高い代償を払うことになる。


世銀のゼーリック氏とその主席エコノミストは前例のないレべルの2国間の経済協力がなければ世界経済は回復しないと言っっている。この不安定な時期でのチャイナとの近しい関係は非常に重要なので彼らの言っていることは正しい。
しかし、米中関係をG-2とラベルすることは、アジアおよびその他世界すべてで、やっかいな戦略地政学上の意味合いをもたらすかもしれない。


欧米諸国民の中には、チャイナの大戦略は、アジアにおける米国の同盟関係を台無しにする方法を探してきてその地域での傑出したパワー(列強)になることだと言う人もいる。実際、チャイナの軍事関係者の中にはそういう夢を抱いている人もいるようだが、それは北京が本気で考えていることではない。チャイナのもっと現実的なゴールは、日本、韓国、オーストラリア、タイ、フィリピンといった同盟国をアジアに持つ米国とのパートナーシップを作って、その中でそれら同盟国を従属させる、つまり、米国とチャイナがアジアにおける傑出した存在というのを共有する、というものである可能性があるだろう。とりあえず当面は。


こういう理由があるから、G-2という名前はアジアを心配させる。
日本からインドまで、この経済危機から脱する方法の模索の結果として、オバマ政権は、チャイナとの戦略的・経済的・政治的対話を拡大させるだけじゃなくて、本格的なパートナーシップに拡大させてしまうんじゃないのかとの懸念がある。

ヒラリーはアジアツアーで、同盟強化を言ってきたけどそれじゃ足りない。アジアにおける米国との同盟関係は第二次世界大戦以来我々にとって役に立ってきたし、それらの同盟国および民主政体の国々と米国は、チャイナよりもずっと多くのものを共有している。


といった具合。

経済は重要だとしても、G-2とか言ってそこにそれ以外の意味を持たせるようなことをするな、と。


最後に、

米中が正式に外交関係を結んで30年になる。経済安定からエネルギーの安定まで、超国家的な問題におけるチャイナとの関係が大きければこういう問題は対処しやすくなるだろうが、その一方で、その他の重要なアジア諸国からの大きな貢献なくして大きな問題が解決に向かうこともない。チャイナの近隣諸国が、米中間のG-2というのを、冷戦以降で最も重要な戦略的再編成と解釈するとすれば、それはそれら近隣諸国と私たちの関係を台無しにしてしまうかもしれない。

と結んでいる。
これは結構、真剣な心配だと思う。
G-2を取ったおかげで、自分たちが、け、アメという烙印を押されて同盟諸国の信頼を失うんじゃないかという懸念であり、かつ、ある意味自国の歴史を否定しかねない懸念でもあるわけでしょう。

しかも、2番目の方はまぁ相手を非難する形になるので現在は書けない。
ぶっちゃけて考えてみるに、昨日まで民主主義だの自由だのと言っていたのに、あれよあれよと中国共産党万歳になっている状況なわけだ。これを米国人たちがどうやって自己完結できるんだろうかなぁってのもわりと問題。

そして、それは自分たちにとってもイヤだが、相手から見れば(例えば日本、インド)、結局はそういう国だしね、といった侮蔑交じりの諦めと共に米国を見ることになるだろうという事態も当然に想定できるでしょう。

しかも、これが、ちょうど、イギリスがその没落戦争において、スターリンと共に正義の連合軍を組んでいたという事態を彷彿とさせているというのもある。隠然とある。


ま、しかし、現在、メディア通しで印象操作が得意なチャイナ&米民主党政権に立たれているからなぁ。
その意味では、このG-2という語の乱用は、結構、アメがはめられているところもあるかも。 *1)


で、民主党政権はこの先あと最低でも3年あるわけで、今のペースでいけば、氏の懸念通りに事は推移する可能性はあるわけだ。アジアにおける米の存在感ではなく、信頼感の低下は否めない、と。
潜在的不信感が顕在化する、といった方が適切かもしれず、アジアとの同盟とはこの紙一重の上にいるという意識がこの著者には結構あるんじゃないかと思う。)


私たちとしては、米が米のために心配していることなんかどうでもいいのだが、心配なのは、日本の側の政治家がこの懸念を共有できているのかという点か。米は没落可能性だけでなく、同盟国との紐帯に陰りのあることを懸念している or 織り込んでいる、という状態にあるわけですよ。

(そもそも、米軍再編成以来実はこうなので、その意味からは、最後に残るトラスト、信頼感さえ失い兼ねないという懸念を米内で持つ人がいるのかもしれない。ま、プーチン元気かなとか言ってる私たちがいるわけだし・・・。)


従って、日本の政治家たちは、好むと好まざるにかかわらず、遠からず、自国民の多くが、従来より大きな対米不信感の中で暮らす可能性のあることを想定して、この先の政治的判断を下さないとならないわけです。その時点はそれが有権者(私ら)にとっての「普通」に見えるはずだから。

できてるんでしょうか。


もちろん、大山鳴動ネズミ5匹ぐらいで終わる可能性もなくはないと思うし、その場合には、私たちの得意のぐずぐず考えて、なんとなく成行きを見るという行動が最終的には一番効率的だとなる可能性もなくはないでしょう。


*1)しかしながら、私が結構面白く見ているのは、このG-2という名前によってチャイニーズが持った、ある種の達成感の効果はどのようなものになるのかという点か。この間、英エコノミスト等を含む英米メディアによくあるコメント欄をつらつら読むに、すっかりアメリカとタメを張ってるのは私らだといった意識のチャイニーズを多く見るようになった。国債売るぞ、そしたらどうするんだ、わはは、みたいな。一方で、そのあまりのcomplacency(自己満足)に誘発されるかのように、チャイニーズが、自分たちの国を偉大に思う人は自分がいいポジションにいるからだろう、ここは特権持ちとそれ以外が分かれた社会なのだ、私は何一つ、ただの一度も投票したことがない云々といった意見も吐いていたりもする。