米大統領選雑感

ついにオバマの勝ちが決まりましたね。といっても、もう何ヶ月も前からそうなるとしか思えないという勝負だったので、それ自体には驚きもなければ感動もなく、むしろやっと決まって鬱陶しさが一つなくなったみたいな感じがする。

少なくともこれでテレビをつけた途端にペイリンがしゃべりだすという不幸に見舞われる確率が極小になるのかと思ったらそれは本当にうれしい。ほんとにね、もう、気が狂いそうなおばさんだったわ、もう。

で、マケインの敗因は、と考える方が間違っているほどに実際問題、過去1年間共和党の勝ちの目はないで話は決まりだったと言っていいんだろうが、最後の最後のロック、負けのロックはペイリン以外にあるわけない、と私は思う。

マケインはいいんだ、が、もし彼に何かあったらあのおばさんかと思った途端手も足もでません。


負けロックをどうしてマケインは拾ったのかが私には謎だった。実際問題、将来のある共和党大物は今回は出たくないに決まってるという前提がまずあって、次に、ペイリンを選んだのは選挙で票を発掘できそうな層を考えたらそれしか選択肢がなかったという理由なんだろう。しかし、それにしたって、と。


しかし、最近考えていたのは、よしんばプラクティカルな要因はそうだったとしても、やってるうちにマケインはマケインなりに、彼の内なる対アメリカ普遍愛みたいなもののうちに、それら宗教要因が強いと思われる、一般的にあまり知的だとはみなされない人びとが姿を現しはじめ(彼自身はそういう人ではないからどれだけ知っていてても自分の一部ではなかっただろう)、彼らに語りかけることのうちに自分の使命を見たのではないのか、などと思ったりもした。あなたの愛するアメリカのその一人ひとりのために働くのですよ、ジョン、みたいな神様の声が聞こえたに違いない。

まったく考えすぎだろうと思う。つか、極東出身のおばさんが勝手に妄想してるだけだしね。


でもまぁ、さっき、マケインの敗北を認める演説を聴いていて、私としては、上のような線を確信してみたりはした。敗北を認める演説がいつもそうであるように、候補者が対立候補者におめでとうを言って、これからがんばってねときっぱり言うと、支持者は、やっぱりそこで多少のブーみたいなざわつきがあるもので、今回もそうだったのだが、そこでマケインがそれを制して、静かにしかしきっぱりとした口調で、今日まで私の敵だった人はこれから私の大統領になります、とか、これ以降私は新しい大統領のオバマが私の愛するこの国をリードしていくのに全力で力を貸しますよ、私たちは私たちが直面している問題に共に力を合わせて対していくんですよ、私たちはこれ以上できないほどちゃんと戦いました、等々と語っていった。

その様子は、いいですか、私たちは憎しみあうために戦ったのではないですよ、わかりますねと示唆しているかのように見えた。アリゾナの聴衆が泣くでもなく、怒るでもなく、多少ぼーっとしているように見えたのも奇妙に印象的だった。どう受け止めていいのかわからないのだろうと思う。


そして私は、そんなことを考えながらテレビの前で鼻水たらしてもらい泣きをしていた。いや、誰も泣いてないのにもらい泣きというのもおかしいから、自主泣きだが。


この様子はBBCの中継で聞いていたのだが、終わったら、アナウンサーだかレポーターのおっちゃんが、generous and handsomeとかhandsomely generousを繰り返していた。なんて寛大なスピーチでしょう、と訳せるんだろうが、もっと情愛を込めて、物惜しみしない立派な態度という感じか。私もそう思った。クラッシックと言ってもいいかもしれない。

で、しかし、逆に、これからが本当に大変なんだというのを再度かみ締めている感じもして、アメリカのおかれた立場についての彼なりの非常な決意というのがあったからこそこういう選挙に立ち上がったのだろうなぁとかも思った。


このへんで、多分そのうちマケインのスピーチがあがってくるんだと思う。
今はまだないけど。
http://www.cnn.com/2008/POLITICS/11/04/election.president/index.html



マケインの愛するアメリカに幸がありますように。
マケインの愛するアメリカが、どこかをいじめると俺らはハッピーみたいな馬鹿な戦略を取ることがありませんように。神様にお願いしておこうと思う。