遠いアメリカ・地のないアメリカ

福田さん、どうもお疲れ様でした。
いろいろ言われてるみたいな気はするし、決然たる理由が見えないのでそれも仕方がないんだろうけど、でも、多分、語れないから尚やっかいなんでしょ、なんて思うっす。


理由がどこらへんにあるのかはずっと後になってわかるんだろうけど、この間、西の楔について書いたので、東の楔の効果を減じさせるような動きをされかねない、とア様に怒られたのかしらとかはちょっと思った。米の選挙の問題もありそうだけど。全然根拠なし。


で、なんつーかこの、最近の情勢にひきつけて言えば、ポーランドとかリトワニアとかグルジアとかとかの人って、どこかに完全な独立とか完全な自由の国とかがあるみたいな夢を語ってるっぽくてなぁとか思うですよ。

でも、相当に大きくなったところで、国にも人にも完全な自由なんてないから。あるのはできるだけ独立的であることぐらい。だってそもそも人も国も共存してるんだも〜ん、など平和的なことを書いてみる。と自分をちゃかしちゃってるけど、でも、平和的というのが一番リアリズム的なんだと思うけどな。だって、憎んだところで他者を撲滅できないでしょ? 


多分、世界史の中で、思い通りに他者の存在を撲滅して自己を確立できたのって、アメリカぐらいしかないと思う。アメリカ人はまったく歴史に疎いといは誰でも言うんだけど、多くの人はその理由を、だったあいつらわずか250年しか歴史ないんだぜという歴史の短さに求める。でも、私が思うにそれは短さではなくて、連続性がないという点が最大の、致命的な理由なんじゃまいか。だから、過去との連続性を見ながら考えるという点に無意識のうちにバリューを置けないんだと考えてみたらどうかしら、など思うわけ。


で、ブッシュという人は、好意的に言うのなら、それを敢えて、アメリカ人の特性としてその美質を抜き出そうという意図を持っているのではないだろうかと私は思ってる。彼が繰り返す、自由と民主主義ですよ、というのは現在攻撃的に利用されているために、他者をハンドルするための単なるツールめいてしまっているけど、このアイデアはアイデアとして実際有用で有り難いものである場合もあるわけだ。

旧弊な社会とか、どうしようもない事態といった時の希望には違いない。だから、それをしっかり持っていてくれる人がいるというのは一応世界中にとって良いことだと私は思う。ただ、問題は、今日、それを短時日のうちに自分のエゴを完遂するための道具、ツールにしている人たちが全面に出ているために、誰もそこに希望が見えない。むしろ自由な考えを阻害してさえいるだろうし、効果的で機能的な部隊を引き連れて他者の国に繰り出していくために、ターゲットになった国はそうしたくなくとも混乱を避けるために(あるいは旧態依然だとしても)、圧政的にならざるを得ない側面もある。そしてそれを見てさらに、圧制だ!など騒ぐ。この繰り返し。こうしていけば、そのうち、我が方で「人権」という語が語られると、また来たなとか、今度は何が狙いだ、としか見えなくなってしまった局面があるように、自由も民主政体もそのようなものとして語られかねない(部分的には既にそうだ)。
これは世界にとって良くないことだと思うんだな、私は。このままで行くと、しかも、この価値は完全に減損しそうだ。


で、逆に、連続性がある場合、すなわち歴史ある社会の場合は、時々突拍子もなく粗野なことが起こったとしても、敵はいなくならないのね。で、闘争のたびごとに、仕方なしなし、legitimacyの問題を争うことになる。正統性、妥当性とかまあそんなこと。で、その場合、どこにもまず完全な正統性というのはなくて、必ず弱くなれば後から前の連続の連続が出てきてみたりなんかして、結構揉める。でもってその繰り返しの中で、共存というアイデアが苦しくも楽しく思えてくるではないのかなど思う。そして、戦争も憎しみでさえもその文脈に入っちゃうところがある。

従って、ここから仮説的に言ってしまわないといけないのは、アメリカ人に国家単位での共存、時々ライバルになったり、時々負けたり勝ったり、しかしそれでも私ら共存しているしという事態を体感させるというのは結構難しいということかと思う。なによりも、彼らは自分が変わったことがないんだもの。


久しい以前から友達と、アメリカ人って他人にはレジームチェンジなんて言葉が流行ってない頃から傀儡作ってまぁそういうことしてたわけだけど、自分たちが体制変換とかになったらどうするんだろうね、なんてことをしばしば話す。で、結論は、想像できない、以上、で終わり。で、しかしそれが彼らにとって幸せなこととは私たちには思えないわけだが、と私たちは暗い顔をする、みたいな。


しかしこれは、まったく大雑把な話で、個々のアメリカ人がみんなそういう傾向があるとかそんなことを言いたいわけではない。でも、他のどこよりも、非常に独りよがりな傾向に陥るチャンスがあって、またそれを拡張してしまう機構(システマチックなメディアコントロールと、図らずもシステマチックな教会)もあるという点はやっぱりあるわよねと思うのですよ。


そんなこんなを考えながら、マケインが民主主義の同盟を言い出した時、私としては、日本人として、対中政策としてはツールになるだろうなと思いつつも、アメリカの価値をこの大変な時期に売り物にしてしまうんですかい、旦那、それは危険な方向に行かないですかい、などとも思っているのだった。