変化の受容過程で

なんとなくだらだらとBBCを付けっぱなしにしていただけなので確証はないが、午後中ず〜っと定時ニュースはジンバブエでは、だったと思う。うるさいほどにジンバブエ。ま、定時ニュースはいつもそうだが、ジンバブエには煮え湯を飲まされているイギリスだからなぁ(イギリス人が独立したりしてたわけだが)とは思うし、その線も当然あるだろう。それはそれとして、ジンバブエ、もう行くとこまで行ってると思うんだが、まだ行く模様。どうなるのか全然わからん。


アフリカのニュースは正直、自分の常識を超え過ぎていてついていけない。が、ちょっとした感想はあって、アフリカ出身の識者みたいな人たちをテレビで見るにつけ、あるいはカナダ、アメリカで庶民といってもお金持ち(とか地方の名家みたいな)とかの人を見るにつけ、自分の国の窮状を救いたいという非常な熱意が殆どまったく感じられないことに最初驚き、今では慣れて見ているのがこれまでのところの私。


デモクラシーは大事な要素です云々とかイギリス人だのアメリカ人だの相手に言ってて、いやにならないか、みたいな。
そんな語をする前に暴力耐性を減らすにはどうしたらいいかとか、識字率を上げるにはどうしたらいいかとか、汚職っていけないんですよとか、そういう話を人々の間に入ってやることが大事な大事な仕事だと思うわけだが、知識、機会、お金のある人から順番に欧米に出てしまって戻らないのが現実。で、そこでアフリカのエキスパートとなってデモクラシーを語って何がどうなるの、と私が言っても全く無意味な話だが、快くは聞けない私。


そりゃヨーロッパは悪いでしょうよ。でも、このままそれを言い続けてよしんば欧州人が謝ったり、便宜を与えるようなことをしたところで、結局は受け入れる構造を自分たちが作れないことには、砂漠にジョーロで水を撒く、の繰り返しになりそうだ、と、私が思うだけでなく、この人たちも大なり小なりそんな感じで見ているからこそ、そんな遠い話に自分や子供の将来をかけるのは嫌だ→欧米生活万歳、になるんだろう。


それを思うだに、日本の基礎ができるまで、特に明治時代に欧米留学をして帰っていた人たちのあり難さよ、としみじみ思う。もちろん事情は相当に、極端なまでに違ってると思う(ブッシュ君はこういうことをあまり知らないみたいだが)。日本は何のかんのといっても過去1000年間で考えてどの時代をとっても他地域比で基礎学力のある社会だもの。


でも、いつだってそうだが、結局、こういう先行者の行動がその後に続く人たちの運命の分かれ道だろうと私は思ってる。道はない、人が歩けば道になるんです、的トーンで。