リザーブじゃない、投資だ、じゃ駄目なんでしょうか

外貨準備高1兆ドル 巨額すぎてリスクも大きい(3月11日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080311-OYT1T00031.htm

 リスクを最小限にとどめ、市場の混乱を招かずに、外貨準備やFB発行額を圧縮することが望まれる。1兆ドルの大台乗せをきっかけに、議論を加速させたい。

と、出る頃だと思ったら出てきた。
で、まったく腹だたしい話だよなぁ、リザーブ持ちとしてはとそれは日々思う。どうせ外国人が買ってるんだからどうだっていいさとばかりに下げていく、なんだもの。

しかし、バブル発生→ドル垂れ流しにより価値低下、ドル在庫一層セールという仕組みは今後も続くんでしょう。また何年かしたらある。で、経済学者の人たちの役割は、このドル在庫一層セールを国内の人々に納得させるためにこそあるんじゃないかとさえ思う今日この頃。アメさんも普通の人の中にはもうこんな仕組みが嫌だと思っている人はいるわけだけど、いや、そんなことを考えても仕方がない。どうせまた来るから。


心情的にはもう付き合いたくないといいたくなる場ではあるけど、そんなこといったって用心棒も必要だし、商売の相手でもあるしというところが本当に切ない。しかし、世の中そんなもんだ。クライアントを好きになる必要はない、結婚するわけじゃなし、と思って仕事してませんか、みなさん?(擬似的に好きとか好意的とか言うにしても)


だから、多分ここは発想を変えればいいんだろうなとか思う。

つまりこれは投資なんだとはっきりさせる、と。

リザーブがあってそれを動かされていることを、ただに課徴金を貸されているとか思わずに、これは俺たちの投資資金だぜ、俺たち結構金もってるぜ、まだ、という主体者としての意識を持つのが肝要ではあるまいか。

 注意しなければならないのは、外貨準備は国の純資産でなく、原資を借金でまかなうことだ。

投資なので、それが借り入れでもリターンが上げられればいいわけです。はい。


私は投資なる行動から最も遠い家庭の一つで育った実際最も遠い行動様式しか備わっていない人間だと思うんだが、最近気づいたところによれば、もしかすると、日本の書き物業界の一部はそれどころではない遠さなのかもしれない。


それはともかく、投資であるからには、安く買って高く売るが基本なのでできるだけそれに忠実に行為すればいい。でもって、何年に一度問題になる介入という行為も、別に介入というカテゴリーにしなければ、十分儲けられる話だと思うんだが。


別に介入の進めをしているのではなくて、肝は、リザーブリザーブとして適宜持って、それ以上をリザーブと呼ばないようにすればいいし、ではそのファンドは何かといえばそれは投資資金だ、と考えればいいだろう、と。


でもって、その投資のリターンは別に目先の現金だけである必要はなくて、安全保証費用一般をリースしたらどうなるのかなとか(リースってのもなんだけど)、プレゼンスがあることによって自分たちが持たないで済むことになってるメリットはどのへんで、デメリットは何で、とか考え出せばいいのじゃまいか。

で、そなると結構安いもんだと思えるかもしれないし、それにしたってやっぱり高い、リースじゃ最後には自分の資産にはならない、よしフル装備軍備買うぞとなるかもしれない。それならそれでいいでしょう。だけどそうすると、資金になっていたソースが突然解約を申し込むみたいなものだから、人類の歴史上通常みらるように、血をみるぜ、になっちゃうかもしれない。じゃあそこまで行かずともこのへんで、とかなんとか、要するに出してる資金を自分たちが投資しているものだと発想すれば、当然にその収益を得ることを考えるようになると思うの。


で、その結果として、あの、そんなに勝手なことしては困りますよ、と、コーポレートアメリカに文句を言うこともあるかもしれない。


文句を言うと怒られるかもしれないが、そのへんは投資しているという態度で向かえばいいだけの話。収支決算を考えて、どうしても赤なら乗り換えるという見解は投資という発想からは当然に帰結される。いたずらに挑発する必要は全然ないが、でも、多分、これは投資ですから、といい続けているだけでも、アメリカ的には、ギクリではなかろうかと予想してみたりもする。


ここまで書いてきて思うんだが、これはつまり、すでにして私たちはそもそも政府系ファンドを持って運用している(少なくとも運用益をあげている)のじゃないのか。ただ、名前が違うからそういう意識で使われていなかっただけ、みたいな(政府会計的なテクニカルな問題はおいておくとして)。


発想を変えて、言を整えていくだけで事象は結構変わってみえるものだ。