帝国じゃなければどうすりゃいいのか


介入じゃなくてファンドをと書いてて、でもきっとこれは日本国内での支持が得られづらそうだ、という問題がありそうだなぁとか思ってみたりする。

なんでっていうと、「ドルを買い支える」という語がもたらす、表面的な意味にひっぱられる人が非常に多いと思うから。1)

つまり、ドルを買うとアメリカを支援しているみたいな語感があって、そうすると、やられている相手をなんで支えるんだ、といった反発を引き起こす。また、米ドル下落、というのは、折からのこの反米感情みたいなのも刺激して、なんか気分がいいみたいに世界中で受け止められている気もする。別にそういうわけではないんだが・・・。


また、このところカナダでも気になっていたんだが、強い通貨を持つ=強い国民、みたいなアイデアが驚くほどに世の中に広まっていることも問題か。

思うに、強い通貨=強い国家って、ある種この、帝国主義の残像なんじゃまいか?
つまり、自国通貨が強いから、帝国内のどこに行っても安心して物が「買える」。帝国はその中心で、他の地域に投資して、そこで出来たものを安く買って、自分んちではあんまり生産活動らしいことはしないでいるのが基本。つまり、購買力があることが帝国の帝国たる由縁なんでしょう。(ただ、アメリカはそうするには全体として人口が大きすぎることもあるし、その富は絶対全員になんか行き渡らないという構造を堅持しているという意味では、自国内でも帝国主義を貫いているとかもいえるかも)

帝国主義というのはレトリックとしても、基本的に、輸入>輸出の国にとってこそ、自国通貨が強いのはいいことだというのが本当に当てはまるでしょうが、輸出>輸入にとっては、自国通貨が強かったら損益はどこまで行っても赤の方向に行くのじゃないの? もちろん原材料とかがあるからあんまり弱いのも大変だからやっぱりこの、その時代その時代の落としどころ探りになるし、その時大事なことは、変化に対して、出来うる限り自分の方が主導権を取れるようにすることなんだと思う。くどいが。

(この考えを敷衍すると、アメリカはどうやっても日本を影響下に置けると思ってるからこそ、好きな時に安心して自国ドルの価値を対円で落としておいても問題がないのかもしれない。結果的に現在の構造ではどうやっても日本経済が沈下するんだから、その時安心して円安になるに決まってる、と踏めるから。)


でのね、ここがトリッキーなんだと思うけど、強い通貨=強い国家を理想とするのって、多分、個人にとってはある種普遍的に「正しい」か、あるいは簡単に正当化できる発想なんだと思う。だからあっさり惹かれる人が多いのだろうと思う。なぜなら自国外に出た場合に特に、個人の購買力が上がるとは言えるから。でも、個人はどこかに所属しているわけで、その所属体が弱体化したらその人も全体としては沈下する可能性は高い(もちろん、沈下を予想して逆に動ける主体もいるけど)。

おかしなことだが、個人は個人の帝国の主ではあるんだろうし、人間というのはそういう志向があるんだろう。だから、そうじゃなくて、それを制御していかないとあなたにも影響がありますよ、というのを理解して受け止めることは本質的に非常に難しい。簡単には理解されない。あるいは、その所属体に対する信頼が失せた時、所属員は全体を見る方向を取らなくなる、なんても言えるかも。具体的にいえば「日本経済」を心配するよりは個人の富の行方を心配する。一見当然だ。

が、多分、大多数の個人にとってそれは甘い罠みたいな気がする。なぜなら、どこまで行っても大多数の個人は帝国の主にはなれないから。寄るべきもの、支えあうものが必要だからでもあり、大多数の人の帝国は小さすぎるから。にもかかわらず、「帝国の主」達成可能度が低ければ低いだけそれが理解できない、とも言えるかもしれない。なぜなら、その時その個人は他人の幸福と自分の幸福を一緒に考えることのできる余裕が減退しているから。まさに信用収縮。つまり、不況になれがなるほど、全体を浮上させる案を採択させることは難しい。多分、戦後にそれがある程度可能だったのは、あまりにも酷く他に道はないことが誰の目にもあきらかだったからかもしれない。


アメリカまたはイギリスは、輸入超の帝国モデルが全体なので、中の人も自分も帝国になれ、と言っていていい、という構造だから、個人が帝国志向度を高めれば高めるだけ、個人は自立(=帝国達成。経済的自立度ほど他に大事なものはないんです、といった良く英語圏の人が普通に言うそれ)、全体も強くなるという構造が確かにあるかなとか思ってみたりはする。通貨のモデルでいえば、自分の購買力を高めることと全体の購買力が向上することが直接並んでいて害がない。ただ、達成できない個人はかなり悲惨。


日本の場合は、自分の購買力を高めようと個人が動けば動くだけ、儲け口を失う可能性が高いという図か。
これを回避するための選択肢は日本自体が帝国になることか、個人の帝国志向度を制御する(無くせというのじゃない、もちろん)ことの2つしかない。円の通貨圏を作ろうというのは前者の発想に近かったのだろうが、これは他の帝国群にとっておいしい話のわけはないから当然反発に合った。20年ぐらい前の話だけじゃなくて、思えば、満州開拓というのもこの発想上にあったんだろうなぁとか思ってみたりもする。自国民の自立を促すという機運が非常に高かった先にはそういう帰結しかなかったかもしれない。それは丁度、経済的自立をテーマに過剰にドライブをかけられた元ヨーロッパ人が結局のところ、アメリカ大陸をがめたみたいに。そう、問題は個人の自立をう促すことと、帝国的展開の軌道は同じで簡単で、一見してわかりやすいが、帝国にならずに周辺でなんとか繁栄しようというファンダで個人の自立テーマを過剰に推進すると、皮肉にも全体が落ちる。合成には誤謬が付きまとう、と。あと、ルール・アンド・ディバイド的でもある。


日本ってかなり難しいところに来てるよなぁとしみじみ思う。問題は経済であり、実際の根幹はものの考え方なんだと私自身は思うけど、そうは見えないであろうところまで来てしまったっぽい。この状態を放置すると、多分、沈下から暴発もある気がする。つまり、緩やかに制御していた、個人の購買力増強だけでは私は生きられないんだ、という発想を制御しくれなくなった時(理屈とタイミングはなんでも付くだろうが)、だ。


とりあえず、多分、今必要なのは、通貨の相対的な高さではなくて、「強さ」なんだろうと思う。回復力こそ強さだ、スピードじゃない、とかいうアイデアが確か軍人の間にあるとどっかで読んだことがあるけど、まさにそれ。あるいは、ラグビーとかと同じで、できるだけ自分がボールを持つこと、少なくとも試合中一回もボールを取れないなんてのじゃ駄目だ、みたいな言い方もできるかもしれない。が、しかし、事実上金融政策が取れなくなっている今、試合になんないという感じのところに来てるとも言えそう・・・・。暗い。明けない夜はない、とか言ってみたい気はするけど、でもこれってラグビーでいえば誰かがかならずボールをこぼすまで待て、みたいなものでこんなんじゃ試合にならないし、これこそ「かけ」だ。ヘッジの何もない。


1)
みずほCB、米メリルリンチに1300億円出資へ
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20080115it13.htm

 一方、日本ではみずほコーポレートが中国とのエール交換に応じて優先株で12億ドル出資。そもそも配当なんか出るんでしょうかねえ。つーかソフトバンク楽天を救えよクソ野郎。パリーグが無くなっちゃうだろ。

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2008/01/post_97b3.html#more


と、隊長はおっしゃるわけですが、敬愛する隊長のお言葉ですが、私はそうは思いませんです。まずは、ソフトバンク楽天のディールとメリルのディールのどちらがいいのかであって、それを決めるのはみずほさん。で、もちろんこれは国内無視という話じゃない。でもって、日本の基本構造としてとにかくでかい輸出を抱えている以上、海外投資を積極的に、しかし馬鹿みたいなものを買うとかじゃなくて(もちろん私企業の問題だけど)、投資に足るような行為を続々と行うのは基本的にいいと思う。こういう行動は為替安定の点からも日本にとって望ましい行動のひとつかもしれない(どういう勘定の資金かわかんないけど)。

でも、もちろん隊長の気持ちもわからないではないっす。でもでも、そうやっていては我が邦の地歩は固まらないと思うわけですよ。みずほを大事に思うからこそ、旅をして強くなって来てくれることを願う(笑)。