そりゃあるんだよ、the Westとの深い溝


この前のエントリーで、金融世界ってば正規戦からテロ戦というフェーズなのか、など書いたら翌朝、ブッドさんが暗殺されていた。暗殺ってばテロ中のテロだ。

テロはいかん、テロはというのは当然だし、憎むべきものだが、私としてはブッドさんはこういうリスクを覚悟していたとも見えるわけで(そもそも10月に帰国した時に爆弾を仕掛けられている)、で、それで一体何をしようとしていたんだろう?という疑問がつきまとう。10月からそう思ってる。なにをしようと、と。

もちろん、正論というか、昨夜からCNNが大量に撒き散らしている見解、彼女はデモクラシーを非常に大事にしていて、その擁護者でそれをパキスタンに根付かせようと云々というのは非常に非常によくわかる。非常に非常に崇高だ。

でもって、アメリカでテレビ見てる限りは、いいことだ、で終われる。でも現実に彼女が立っていたのは、敵対して優位に立つには手段を選ばずという思考がかなりのところ支配的な地だ。そして、誰だかわからない武器を持ったよその人まで参入する。そもそもどうしてムシャラフという列記とした軍人をシビリアンによる政治を旨とする西欧諸国が不承不承でも受け入れているかといえば、それは別に昨日今日のテロ戦争だけの問題ではないだろう。


しかも、彼女自身のなんというか、the Westの価値観ストレートのものの考え方が、広範囲の敵を自国内に作ってもいたと聞く。


これについては、まぁそうだろうなぁと前から思っていたが、昨日からのテレビの特番で彼女の過去のいろんなインタビューを見てなるほどと思った。なんというか、ちょっと辛い気がした。というのは、アメリカで、カナダであるいは日本で見ている限り、ああそうか、いいことだ、立派だとしか思わない話をしきりにしていたから。言辞が西欧民主主義で揃いすぎるほど揃っているわけで、なんというかこの、各種部族やら地域やらが対立して、その対立に武力を使うことに特に躊躇のないケースも多々あり、でもって、そこに宗教ファクターが色濃く支配的なところで、これでまとまると本当に思っていたわけではないんだろうなぁ・・・とか思った。もしかしたらパキスタンでは別のことを言っていた、とかもあるのかもしれないけど・・・。

また、言辞の編み方、向かい方も気になった。つまり、元首相という立場でもあるわけだから、西欧の人に対するにあたって、パキスタンでは伝統的にこういうことがあるのでそれがなかなか上手くいかないわけですが、といった説明または申し開きみたいな態度があってよさそうなものだが(と私は思う)、民主主義的でない人とか習慣は悪い、悪い、よくないよくないといったことを西欧のインタビューでストレートに語ってしまう人のように見受けられた。

ま、世界共通のリベラルモデルといってしまえばそれまでだが、でも、これは、なんというか、同じように非西欧である日本の日本人として見ると、亡くなった人を悪く言っているようで気が引けるが、ちょっとこの、非西欧でない国を西欧文化圏モデルと切れないようにしながらもどうやって独自色を守りながら発展させられるのか、みたいなアイデアがある、あるいは模索する人には見えず、見ながら、こう、苦々しい感じがした。というか、くどいがそもそも公人だったのにパキスタン全体を語るよりは自分の敵を対話者になんの垣根もなく語ってしまう人に見えた。しかしその敵は彼女の国民だ。とりあえずCNNやらBBCのチョイスの問題かもしれないが・・・。


といって、どんなことがあろうとも、もちろん暗殺していいわけはない。当然だ。ただ、どこまでいっても酷なことを書いてしまうけど、やっぱりこの、恐ろしいことを誘発し得る要素は過去の成り行きからもいっぱい観測できるところに、なんで帰国したんだろう、という疑問は今も残る(アメリカかあるいは西欧組が主導してたというのは広く言われているものの)。テレビを見た人はみんな同じことを考えたんじゃないかと思うけど、ものすごい群集の中に無防備で入っていく。今回も、サンルーフから身体を乗り出して民衆に応えるという姿勢を取っていた。


CNNで見たのだが、アメリカ人で彼女を高く買っている雑誌の編集者(で本の著者、といったと思う)というおばさんが、彼女は民衆の中に入っていくんです、無防備なんです、と、なんて素晴らしいと言わんばかりの高揚した調子で語っていた(そうだ、とそこに力点を置いていたつもりはなかったんだろうが、声が陶酔しちゃう)。趣旨としては、民主主義の熱烈な擁護者としての彼女は素晴らしい、ってことらしい。しかも、女性です(素晴らしい)、と。


いろんな人がいろんな意見を持つアメリカなのでまぁ好きに言ってくださいよ、とも思うし、ブッドさんがそこまで夢見る民主主義者だなんても全然思わないが、でも、こういう擁護者が西欧組のリベラル陣に結構いるんだろうとは思った。一人の人間の行動を一人の人間として見て、その素晴らしさを褒めるというのはいつでも素晴らしく気持ちのいい習慣だし大事なことだと思う。が、それはリーダーを語る際には不必要かもしれないし、戦略的に重要な地点でそんな具合に褒められる人がいても、周りが困るよ、と思った。

個人的には、この人を帰国させるようドライブをかけた人たちは、この事態を本当に予見していなかったのか、を知りたい。


[捕捉]
極東ブログさんを見たら、12月末のニューズ・ウィークにムシャラフとブッドさんの(なぜムシャラフには「さん」が付かない。わからない自分でも)インタビューがあった由。お借りします。

――ムシャラフは首相の3選禁止規定を撤廃し、あなたの首相復帰に道を開くとみられているが……
 アラブ首長国連邦での会談で私にそう言った。それを受けて、私たちは秘密協定を結んだ。

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/12/post_ad1d.html


なるほど。これを一応のディールとすると、ムシャラフ一本じゃまずいかな、の西欧組もOKだし、これでよし、だったのか。でもこれって、ブットさん以外の2当事者にとっては現状に対して多少の「お化粧」が出来る以上のメリットのある話ではないわけで、お化粧代わりに使われるだろうとは思わなかったのか。民主主義を言う自分が頂点に立つというその図そのものに魅力を感じたのかな、なんても思った。一族のリベンジみたいなものもドライブフォースになるだろうし。だとしたら、パキスタンのためにというよりも、安定のためにというよりも、民主主義のためというよりも、やっぱりこう、くどいくどいが、なんて公人でないんだという感想を当面私は持つことになるだろうかな。なんだかなぁ、だがある意味壮絶か。壮絶な美人だからか。