プロパガンダに弱い政府


なんというか、子供を使ったり数に頼んで何かを訴える手法というのを諌める方法というのはないのだろうか。でもそんなことを言おうものなら、思想統制だとか言われるんだろうな、やっぱり。でも、子供の思考を統制するのはOKで、それをやるめるべきだと言うと×になるというのは、もはやブラックジョークの世界のような気もする。


と、それはつまりこの話。
「醜くても真実知りたい」高校生も訴え 沖縄県民大会
http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY200709300001.html


で、その結果、政府が検討をしましょうと答えた、と。

教科書の沖縄戦「集団自決」修正問題、文科省が見直し検討
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071001it14.htm

 町村官房長官も同日夕の記者会見で、「沖縄の皆さん方の気持ちを受け止めて、修正できるかどうか、関係者の工夫と努力と知恵があり得るのかも知れない」と語り、渡海文科相に再修正についての検討を指示したことを明らかにした。


なんだそうだが、私はこれこそ沖縄県民に失礼だと思う。
誰かの気持ちで事実表記が変わるわけではなく、記述の根拠を巡っていることをはっきりさせるべきではないの?

軍が強制したという表記が、所属等のはっきりした軍人の行為であることが証明できなくなっている、少なくとも従来一般に流布されていた説に疑念が発生しているため、妥当な線での表記に改められる、という事態だと私は認識しているのだが・・・。で、もしそれに対して異論があるのなら、表記妥当性の認定手続きの妥当性について冷静な提示、あるいは活発な論争があればいい。従って、その線でクールに行けば良いのじゃないですか、政府、と思う。

人が多く集まって騒いだら譲歩するというのは、今火急の要件として米を放出するといった事態でもなかったら、一見優しいようでいて、実際には、ここはどうせ筋は通らないと突き放しているも同然だと私は思う。沖縄県の人はそういう優しさめかした半端な扱いを不満と思わないのだろうか。それこそ名折れではあるまいか。ま、思ったところであの言論状況じゃ大変そうだという事情はわかるようには思う。あれは痛すぎる。


で、しかし、今般のあの大規模集会(でも動員目いっぱいでも結局公表値の半数ぐらいだってこと?ともいえるようだが)は、いったい何がしたかったのか私にはさっぱり意味がわからない。もちろん上の譲歩を勝ち取るためなんだろうけど、その代りに譲歩されようとされまいと、より多くの人がこの話に興味を持ち、事情をより詳しく知り、さらに、それにもかかわず力で押そうとしている人々に反発を覚えるという構図以外に何もないと思う。

とりあえず、その改訂なるもの。文部省のサイトにはいろんなのがあって、そのへんを見ると、これで一体どうして米軍少女暴行事件より多くの人数を集めなけばならないのか、またそんなに集まるものなのか、驚く。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/kentei/07060801/18-87/18-87-15.htm


そうまで言われるほど一体政府は何をしたのか、なのだが、

教科書から軍の関与を消さないでください。あの醜い戦争を美化しないでほしい。たとえ醜くても真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい

と女生徒は言っているが、軍の「関与」が消えているわけではないでしょう。そもそも戦争の話を書くのに軍の関与抜きというのは難しい。これはレトリックというか、ミスリードを誘っているのかとも思える。なくなったのは、自殺に関して軍の直接の強制を示す語だと思う。

朝日の紙版の一面の見出しがなんだったのか知らないのだが、地元の琉球新報紙には、「『軍強制記述回復』を決議」、という文字が見える。

http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/321442/

(すごい紙面だ、しかし。号外ありにさらに驚く)


で、「軍強制記述」から、強制していたことを抜いたとはけしからんということなのだが、そう書ける根拠に疑念が出てきたのだからそう変えられるべきで何が問題なのかが私にはまずわからない。もちろん、それによってこれまでのお金の問題などがあるのはとりあえず承知しているがそのためだけに争ってるわけじゃないでしょ? (と思う)

もしそうでないのなら、この集会に出た人たちは一体過去にどうあってほしいんだろうかというある種不思議の念に捉われるほどだと、ちょっと調子が強いけどそう思った。


例えばこんなのを読んだことが私の疑問のきっかけか。

100,000 Protest Over Japan Textbook
http://ap.google.com/article/ALeqM5ihzE9YL56-yySlpEk6gdU6P6SGKgD8RVGM2O1

Publishers of history textbooks were ordered in December to modify sections that said the Japanese army ― faced with an impending U.S. invasion in 1945 ― handed out grenades to residents in Okinawa and ordered them to kill themselves rather than surrender to the Americans.

歴史の教科書の出版社は、米国の侵攻が差し迫っていた1945年に、日本軍が沖縄の住民たちに手榴弾を手渡してアメリカ人に降伏するよりも自分で自分を殺せと命令した部分についての変更を命じられた。

そしてその改正を迫った部分というのは、

Accounts of forced group suicides on Okinawa are backed by historical research, as well as testimonies from victims' relatives. Historians also say civilians were induced by government propaganda to believe U.S. soldiers would commit horrible atrocities and therefore killed themselves and their families to avoid capture.

沖縄で起こった強制的な集団自殺は歴史調査および被害者の親族の証言にも支えられている。歴史家たちは、民間人は、米軍兵士は残虐行為を働いて住民を殺すかもしれないという政府が誘発したプロパガンダを信じさせられ、結果として捕虜になることを恐れて自身とその家族を殺したと言っている。


という。日本の記事にそんな話がないからまぁ仕方がないといえば仕方がないのだろうが、当然のことながら、例えばその証言なるものを覆す証言もあり裁判もあるんだがといったフォローはない(反対者は保守層の流れとして言及されているものの)。


とはいえ、この英文は内容においては全体として集会の主たる目的等をその曖昧な表現も含めてだいた伝えていると思う。が、多分、読んだ人にもたらされる意味、印象は日本の言論を読んだ時と若干違うかもとも思う。その理由は、英文にはアメリカと日本が戦争していた話がちゃんと出てて、一方、日本におけるこの事件は、集会の記事およびその元になった沖縄各紙みたいなのを見てみても、日本軍の強制、関与という語に過剰なバリューが置かれていて、実際そこで起こっていたことの大問題、敵と闘っていたという構図がすこーんと抜けているからだ。

(なぜ敵としてのアメリカを抜かしてしまうのだろう? 入れると具体的に状況を想像されてしまうから? フォーカスを日本軍に絞った結果? って、それって何のための作戦?と、いずれにしてもちょっと作為を感じる。)

英文他紙も同様いずれも、日本はアメリカと闘って、約20万人が死亡してその中には多数の沖縄の市民が含まれ、しばしば家族全員ということもあり、とか、沖縄は1972年までアメリカに占領された、という背景情報の上でこの話が書きだされている。当然といえば当然そう。そうでなければ何がなんだかわからない。

The Battle of Okinawa left some 200,000 dead including many Okinawan civilians, often entire families, who committed suicide rather than surrender to Americans.
Some eyewitness accounts say they did so on the orders of Japanese soldiers, but conservative historians have called into question those accounts, arguing that the suicides were voluntary.


その上で、目撃者の中には日本軍の命令で行われたと言う人もいるし、保守の歴史家は自殺は自発的なものだと言っている、と。

この言い方もトリッキーだとは思うけど(保守とか、自発的とか)、ともあれ、戦闘という点が考慮されると、島に上陸する米兵を前にした劣勢の日本軍とその背後の日本人たちが、捕まるよりはと自決の道を選ぶこと、あるいは誰が言いだしたにせよ選ばせることが、無理、無茶、非道中の非道と言えるかどうかはかなり判断が難しくなるのではなかろうか。また、その中で軍が軍として住民に自殺を命じる(order)というのも、リアルに考えると疑問を持つ人がいても不思議ではない。殺傷兵器を持った兵隊がなぜそんな不確かなことを、だから。

なんて気の毒な話だと思う人は大勢いるだろうし、日本人の生と死の問題としては考察の対象になるだろうが、これを持ってまったく日本軍はけしからんとか日本政府は云々と言い切るのは難しそうだ。アメリカ人に投降すればよかったのにと無邪気に思う人は、世界中にあんまりいないと思う。そう、集団で自殺というのは結果において誰がリーダーであっても、どんな手段を使ったものであっても酷い話であることに変わりはないが、ではその時そうせずに、何か有効な対策を取れたのかとなったら、誰も確かなことは言えないだろう。


実際には捕虜になって助かる人はどの戦争でもいるわけだけど、それは必ずそうなる話ではないし、こちらが民間人なら大丈夫と判断したとしても、タイミング的に作戦進行中ならいかに偉大なる「ヒューマニティ」あふれる世界の米軍だとて軍である以上できない。(笑えない)


と、要するに「軍強制記述」という語に過剰に反応しないで、何が起こったのかを考えるとこれはそうまで、特に60年も経ってから問題にすべき話なのかどうかよくわからなくなる(外国との話、つまり敵同士なら場合によってはそこまで真相が持ち越されることはあり得るし、折々の政治状況で憎悪がぶり返されることももちろんある)。

日本で読んでいる人は、そこに個別の個人の名誉回復の問題があることも知っているからなぜ今そうなのかの事情はわかるし、人によっては遅すぎたとさえ言うだろう。が、これが日本の記事ベースの海外メディアはそこを飛ばしているので、さらに??だ。だからこそ、また日本の保守層とやらが・・・という流れにされているとも言えるんだし、そういう意図を朝日様はお持ちだろうと思うが、それがそのままきれいなソースロンダリング作戦を展開できるかどうかは今般はかなり怪しい。なにしろ自国内だからだし、状況が状況だからだし、あと時流的に相手が相手だからもあるかも。米軍に投降、へぇ〜、と。


ただ、これっていわゆる離反工作?みたいな臭いをかいでいる人もいるようだけど、その線は確かに出てきているかもしれず、これが本命ならそれなりに効果を上げるのか?など思わないでもない。今日のAFPを読んだら、沖縄というかつて独立していた地域というのがキャプションに入って、軍隊の前に「本土の」を入れたら印象が変わって見える。

While many civilians perished in the all-out US bombardment, local accounts say Japanese troops forced residents of Okinawa -- a southern island chain and an independent kingdom until the 19th century -- to commit suicide rather than surrender to US forces.

沖縄という19世紀まで独立国だったところ、でこういうことが起こって、で、それを「mainland Japan」の軍隊からの命令ではないとナショナリストの学者たちが言っている、と。この書き方だと少数民族問題が背景にあると読ませたいのだろう。検定に関してはそんなことが判断要素になることはないと思われるわけだが、AFP用意のいいことで。
http://afp.google.com/article/ALeqM5iQaJq9SkISnrbPIxeknD8JHgdxog


いずれにしても、とにかくどうでもいいんだが、フェアに行こうよ、フェアにとまずはそれだ。
疑念が呈されているのは別にニッポン右翼問題の一貫ではなく、教科書検定は唐突に日本国政府が強権を発動しているわけではなく、教科書を変えると戦争になるわけでもない。政府は怖がらずルールを淡々と通すべき。圧力にもプロパガンダにも負けるな政府、って、もうどんな世の中なのこれ。


こんな具合ではそれこそ沖縄で亡くなった方たち、沖縄出身者だけじゃなくて、従軍してそこに行った残りの日本を出身地とする兵隊さん、将校さんたち、あとはちょっとざらつきを覚えもするけど、アメリカのために戦ったアメリカの兵隊さんたちも含めて、みんな浮かばれないと思う。