ロシアの肩章と欧州情勢複雑怪奇

こういうのもマルチカルチャーというか、多民族移民多発地帯の楽しみの一つだと思うのだが、今日はロシア人宅でロシアのというか、ソ連時代の映画を見た。第二次世界大戦の東部戦線の話というべきか、スターリングラードを代表とするドイツとの長い長い、もうなんでよというあの東部戦線の話というべきかというそれの映画。ソ連崩壊以前に撮影したもので、CGのない時代の陸戦ものなわけで、これってつまり、全部マジで、リアルであちこちで爆破してるよねという点が非常に興味深かった。爆風がリアルでないわけもないという代物で、爆破に関していえばある意味でドキュメンタリーかもしれない(笑)。

それはともかく、私としては最も興味深かったのは、1943年のロシア軍の軍服改正。

wikiにはこうある。

第二次世界大戦独ソ戦)最中の1943年、ナショナリズムを鼓舞する意図からか、赤軍の軍服に、先述の帝政ロシア軍の要素が大幅に導入(換言すれば「復活」ないし「復古」)された。すなわち、縦長楕円形の帽章(中心に従来の赤い星がくる)、立襟の上着(従来の折り襟と併用)、肩章で表わす階級章である。加えて、将官には制帽や襟の装飾に金の葉模様刺繍をふんだんに用いた礼服も制定された。第二次世界大戦後の社会主義陣営の軍隊にも大きな影響を与えたソ連軍の軍服にはこうして、「共産主義の軍隊」と「ロシア軍」の2つの要素が混在することになった。

軍服 (ロシア・ソ連) - Wikipedia

ナショナリズムを鼓舞する意図からか、」と書いてあるけど、リアルロシア人の軍オタっぽい人が言うには、はっきりそうである、だそうだ。

共産主義とかソ連とかなんとかそういう話じゃない、これは母なるロシアのための戦いだ、という点を強力にアピールする意味でこうなったといっていた。


なんでこの話が出てきたかといえば、映画の中で、この人が主人公で、この人が誰でと説明されながら、私が、「でもこの人オフィサー(将校)?」とふと疑問を述べ、そうだと言われ、「でもこの人肩章付いてないよ、あ、戦闘服?」とか言ったら。おお、とツボに嵌ったようで、いいか、ではこっちを見ろと別の映画の一部を出され、こっちは肩章がある。同じロシア軍だ、これはだな、と上の説明になった。

流れとしては、ロシアの革命後、伝統あるロシア軍の制服というか、かっこいい制服というか贅沢そうな制服というかそれはみんなツァーの軍隊の服だということになって、ではと赤軍の制服できて、こっちは肩章はなくて、襟にピンがいくつかついてそれでランクを表す式の、なんかこう、日本軍の後期の夏服っぽいような、ようするに礼装的なものが排除されたものになっていた。が、それでは祖国戦争を戦えない、ロシアのために、という感情を引き出せないという考えからか(と、少なくともロシア人はそう受け止めていたわけだが)、ロシア復古となり、現在はその流れの中にあるということのようだ。


さてこれを知って、へぇと面白く思って、こうやって帰ってきて本とかwikiとか見てさらに興味深く思っているが、それにしてもそれにしても、このロシアというかソ連を相手に、日本の一部の人びと、あるいは松岡某氏は、いったいどうやったロシアと組めるかもみたいな考えを抱いたのだろう? スターリンがなんといおうと、一時期どうでようと、どうあれドイツとはやらなきゃいかんというデフォの感情がロシアに普通に存在していたとしか思えないわけだが、そこを見逃したということなんだろうか。

別の方から考えてみるに、結果的にはアメリカは惜しげもなくロシアを支援して支援物資をイギリスに突っ込むのと同様に突っ込んでるわけで、それができる措置があるとも読めなかったんだろうか? ひとつの補助線としては、コミュニズム、あるいは反コミュニズムというのを日本人は額面通り読んで、それがよって来たる地、つまりヨーロッパ人たちの組める、組めない枠組みを見誤ったことを考えるのは有効ではあるだろう。

何を言っても、しかし、とにかく、欧州情勢複雑怪奇、ああ、これぞ痛恨の一事と何百回考えても腹立たしい仕儀だが、年を取るに従い、しかしどうやったらよかったのかを考えるのはさらに難しいとも思えてくるわけで、それもあるから余計に痛恨という感じがする。


なんにせよ、私はロシア語ができないのだが、でもソ連時代のロシア映画というのもなかなか面白そうだ。もちろんプロパガンダのために作られたものも多数あるんだろうし、私が今回見たのはなんせ祖国大戦争を思い出させるための仕掛け、あるいは、おれたちは偉大だ=この国は偉大だというのを知らしめるがための策ではあったんだろうと思う。求心力を高めるというやつ。しかし、それにしてはドイツを悪辣に描いている感じでもなくて、ロシア青年の活躍というのもあんまりドラマチックにも見えなかった(私がキーになる線を読めないから、かもしれないが)。

これだったらよっぽど、実際にはほんのちょっと最後に戦火を交えただけのアメリカで作られているナチがらみの映像の方がよっぽど、笑ってしまうほどに、戯画的にナチだ。このへんは、実際に正面線を戦うと相応にリスペクトが生まれるということなのかもしれない。俺達は戯画の中にいたわけじゃない、というロシア人の踏ん張りでもあるだろう。

あるいは、信じられないほどに汚いこと、迷惑なことをやり続けているソ連またはロシアではあるが、それにしてもバレエとアイスダンスはガチでよかった、というのと気脈を通じた話なのかもしれない。