地震の国に幸いあれ

新潟、北長野のみなさん、大変なことだったと本当に心配しています・・・と誰か特定のどなたかに言っているわけではないけれど、そういう気持ちでいっぱい。どうしてまぁ、また新潟なのか、と驚く。

漫然と付いていたカナダのラジオのニュースの最後の方で、あれ今japanって言った気がする、と思ったのまずはきっかけ。聞いてなかったから分量がわからないが1行ニュースみたいな感じで早く伝えられていたようだ。主観的に、どういう理由もなく、地震かな、と思った。他に事件があることだってありそうなものだがなんかそう思った。その後ネットでチェックしたらやっぱり地震。その後のこちらの報道では、地震に加えて放射性の水が漏れてるみたいないことを再々繰り返していた。

なんというか、日本って、要するに、毎日が5段階スケールの3ぐらいのアラートで暮らすことを旨とせよ、という地域ではあるのだよなぁとぼそっと思ったが、しかし、しかし、考えて直してみれば、ハリケーン、台風は発生から襲撃までモニターできるようになっているわけで、確かにそれでも避けられない被害はあるが、極端な話エリアごと避難させるということも論理的には可能(アメリカが志向するのは常にこれ)。それに比べたら、地震ってもう、容赦もくそもない。

つまり、ほとんどの地域が、毎日がアラート5、危険信号5、いつテロがあるかわかりません、注意してください、注意してくれだぁ?何をどーせーちゅーねん、の中にあると言うべきなんだろうと思う。リスクをどんなに少なく見積もろうとしても、どうしても見積もりきれないのが現状の地震だから。
(ただ、つぶさに見ていくと、かなり地震の被害からは縁のない地域というのはある。但し、これにしたって、有史以来そうなのかどうかまではよくわからないし、今後もそうなのかはさらにわらかない。)
(さらに、であればこそ倒壊家屋を減らす、避難体制の強化等々のリスク減少は大事も大事、これしかないほど大事ではあるし、日本にとって最も考える価値のあるテーマはこれをおいて何があるというほど大事。)



地震というのは、日本を語る上で欠かせない、致命的に重要なファクターだなぁと、前にも書いた気がするけど改めてそう思う。日本人がなぜこうなのか、なぜこう発想するのか、行為するのかに対する答えの中に地震要素が加味されていないのはいずれも見直されるべきかもしれない。いや、そうだ、そうに決まってると、二度三度四度と、地震のたびに、地震という事態がまったく想定されていないところに住まいしているわが身から、そう思う。

よく砂漠の民とか、森の民、湿潤地帯では乾燥地帯では云々と環境因子を加味して当該地方の風土、人物像を語る試みがあるが、地震多発地帯では、というのもありだと思う。長い間に、決定的に、生死感[error:間]が異なっているはずではなかろうか。温暖湿潤の私たちはと書くけど、温暖湿潤、風光明媚のその地にぽっかりと口を開ける死の淵に乗っているのが我ら地震の民でしょう。無常観、むべなるかなと思わずにはいられない。


なんにせよ、また少なからぬ人々が住宅を失って仮設の住まいで夜を過ごす日々を送られるのかと思うと、ほんとに気の毒でならない。

どうぞ心安くお大切に、とか言ったって、何をいってんだい、いそがしんだばか者ぉ、という時だとは思うけれども、それでもホントに、どうぞどうぞお大切に。