夕空晴れて自民と空洞?

すっかり日が短くなった。あれもう夕方になっちゃたと思ったらまだ4時前ということが続くようになると、冬だなぁと思う。逆に、冬至を越えると、確かに気温レンジとしては目もあてられないほどのすごい寒冷地になっていくのだが、冬を脱しているとどこかで確かに感じていることを実感しないわけにはいかない。古代人でもなく、毎日の生活は電気でまかなわれ、時計が刻む時間によって支えられていることかから考えれば日が短くなることがなにほどのことなのだと頭では思うものの、どれだけ不可解であっても、日の長さの長短は日々の印象気分を実際左右するものだと思う。


毎年同じことを書いている気がするのだが、それはそれで、こうした印象気分というのは加齢による変化、つまりメンタルな部分として人生に対する慣れといってみても同じ意味だろうと思うが、そういうものによっても乗り越えられないということを証拠付けていると言ってもいいかもしれない。もっとも、これがあと20回繰り返された場合には、私はまた別のことを考えないとも限らない。終点、つまり死が目算に入ってきたら日の短さがもっとシャープに投影されるのか、それとも逆に泰然として春を言うということになるのか、わからない。


と、それはともかく、先週はアメリカの上下院選挙というイベントが北米のニュース枠の大きな割合を占めていた。しかし、予想したよりも騒ぎは小さかったのじゃなかろうかと今となってはそんな気もする。一つには、だいたいそうなりそうだ、というところがそのまま推移したからだろうし、もう一つには、だからといって別に何か変わりそうな気配はあまりない、ということがすでに織り込まれているからじゃないかと思ったりする。


先週から The Economistはなんかものすごく、ちょっと珍しくない?と思うほどある種赤裸々に民主党勝利に対して当てこすりというか、皮肉というか、なんだかやんなっちゃうんだよ感を一杯にしている。先週の表紙は、なんたってハゲワシが議事堂をつつこうってな図柄で、ああこれって、民主党が来るってことかぁと思って笑えた。

同時期私がまったくの冗談で、ま、ある種思いつきで友達に言っていたのは、共和党もしくはその支持者が好きなのは商売、お金も好きだろうがそれは結果、対して民主党が好きなのはお金、手段はなんでもいい、というもの。で、そうぉ?という表情の友達に、だってほら、民主党といえば弁護士だし、と言ったら破顔一笑というのか、納得になった。一般化につきものの杜撰な話ではあるけど、なにほどか、そういう感じを指摘しているところはあるんじゃないかなぁと自分で言う。


で、今週もトーンは同じらしい。現実となったら、民主党が言っていたこれもあれもそれも落としどころは今と対して変わらなくて、結局あと1年半、2008年の大統領選挙への準備期間にしかならないだろう、ということらしい。ま、そうでしょうと私も思う。
After the victory
The Democrats' plans
Nov 9th 2006 | WASHINGTON, DC
From The Economist print edition
http://www.economist.com/daily/news/displaystory.cfm?story_id=8143220

結局のところ、殊に内政に関していえば、共和党民主党も結果に視点を据えてみたときの政策に関していえば、別にそう変わったところというのはたいしてないと言っても言いすぎではなくて、むしろ、支持者の嗜好だ、とへんないい方だがそういう風に見た方がわかりやすい気がする。

いわゆる労働者より、いわゆる「リベラル」なことが表紙に書かれていると飛びつく人と、通商的自由、政府は小さくあるべきだ、政府に頼るな、自助努力だと書いてあると安心する人の違いがあり、または、ゲイ賛成と反対、中絶の賛成と反対とあって、その違いに従って各プラットフォームが用意されてはいるものの、実際できることはどちらの側から行っても実質的に変わりはない、ということ。


別の言い方をすれば、大統領に、または目立った議員になる人は、大きな支持者集団の中でもっとも穏健(または曖昧)なところに位置することになる、ということ。右からでも左からでも。


ただ、外交部分に関してはそうとは限らず思い切った大きな差もあり得るわけで(相手が外だから本質的に我が方[この場合アメリカ]の思い通りにはならないし、落としどころに対するコンセンサスもない)、日本としてはそっちの方が心配といえば心配ではある。


で、それはそのうちまた何か見えてくるんだろうけど、与党と野党の差異が曖昧でも、看板とその看板のバリューが全土にあらかた浸透している、つまりとりあえず違う集団があるだけまだアメリカはマシかもしれないのじゃまいか、など思ってみたりする。つまり日本における与野党の差異はどうなっちゃうの? 純ちゃんなき今、ぱっくり口を開けて洞窟が見えまっせ、になってるんじゃまいか。


というのは、小泉純ちゃんは公言していた通り従来の自民党をぶっこわして自民党を勝利に導き、諸々の、主に経済粋についての改革路線を進めた。では、このぶちこわされた自民党とは何ものなのか? 純ちゃんはこれには回答していない。つか、そういうキャラじゃない。


自身は、タブーというものを好まない、人が利権で動くことは知っているが自分はそう熱心でない、保護よりも自助努力を評価する、概算で言って高踏派の(語感が形容矛盾的だが)自由主義者みたいな人ではあるだろう。が、しかし、自民党とはそういう集合体ではない。いや、そうではないというのなら話は簡単だが、そうでないのでもなく、そうであるのでもないのが自民党だ。なんでもありだったし、今もそうだ。

しや、そうではなくて、なんでもありだったまさにそのことがあり得るための土壌こそ自民党だったと言えるかもしれない。つまり、デフォルトで多数を誇ることができるからこそ、右から左まで、栗本慎一郎の名著(笑)『自民党の研究』を待つまでもなく、極左から極右までなんでも来いと言えたのだろう。そして、いや、しかしながら、ひとたび自民党に入ったからには、その極左も極右も、ともあれ自民党的に存在する。

では自民党的に存在するとは何か。それは多分、だいたいの時間と場所において、あるいは殆ど非時間的なまでにマジョリティ包含の言辞をはく、ということか。つまり、極端なことは結局できないのを知りつつ言を吐く。そして投票者もこの構図をわかっていながらそこに投票する。これは最良の時には責任感のある行動となり(自分たちは意見を違える人を含めた全体を見るのだ、という態度となる)、最悪の時には、自分の側では何の理念も策もない、すべては流れまかせ、強いものには巻かれておけ主義となるだろう。

しかしこのマジョリティ作戦は、自民党が野に下った経験以来神話にすぎないことが明らかになった。が、それだって別に全国で激震が走ったわけではない。しかし、純ちゃんは全国的に亀裂を入れてまわったも同然だった。なにしろ攻めに回って戦ったのだから。それは、マジョリティ主義の戦法ではない。

それでも参院選は気を引き締めないとダメだ。小泉氏の功罪の「罪」は自民党の地方組織をずたずたにしてしまったこと。これを一気に立て直すのは至難の業ですよ。
 造反組復党問題だって、地方の自民党組織を再構築するという観点から浮上したんだ。別に郵便局の票を頼りにしようとは思っていませんよ。だから復党で「踏み絵」を踏ませるのはよくない。「安倍と一緒にやってください」。それだけで十分。選挙区調整はその次の問題だよ。

http://www.sankei.co.jp/news/061031/sei001.htm
森元首相に聞く 参院選争点は「日教組壊滅できるか」


と、最近森さんは語っているようだけど、地方「組織」もずたずただろうけど、マジョリティ主義を取れない以上、自分たちはどういう党なのかの看板をかけないとならないわけだけど、それがよくわからない状態のままだから、地方というか現実の選挙対策チームは大変なんだと思うんだが、どうでしょう。

で、森さん的には、それで教育をテーマにして、敵を作って撃破する作戦なのかななどとも見える。つまり、日教組を中心とした度を超したへんちくりんな教育をしている、あるいは熱心な集団が日本国にいることは周知なわけだけど、それをターゲットにして、そうでないものを自民のアイデンティティにするつもりなのか、と。


私はこれを森さんのためにおめでとうとは言わない。へんちくりん教育集団はもっと別の淘汰の方法はあるわけで、国政の争点にするほどのことではないだろう。というか、こういうことを争点にすえると、必ず両方の側に反動が起きて、落ち着くものも落ち着かなくなると思われ、だ。

そして、それをやると、実は、多分、マジョリティ主義を支えていた、あるいはその存在に隠然と寄与していた各地域のエスタブリッシュメント自民党に距離を置くようになると思う。これが起きたら、ここの最後じゃまいか。(もちろん、旧来のエスタブとは異なったネオ自民になるというのならそれもそれでいいが、それはもうマジョリティ主義は取れない)


なんにせよ、自民、大変そうだ、とかなり唖然としたのはこれ。


民主、社民推薦の佐藤氏が初当選 福島出直し知事選

http://www.asahi.com/politics/update/1112/002.html


民主が勝ったといっても旧自民→民主の議員のおじーさんの甥だかが民主として勝ったということらしいから、この状態自体は見出しとは異なり、旧来の自民的マジョリティ主義の勝利のようには見える。ただ、それが現在の党籍民主だっただけで。

が、私の目を引いたのは自民党の候補者。候補者の方に罪はないしお疲れのところこんなことを言うのも申し訳ないけど、でも、客観的に、候補者の不人気は覆しようもないように見える。42歳の女性、弁護士、政治経験なし、つまり、書かれているものから知る限り素人さんだ、しかも2チャンネルの選挙板を読む限り、特に県内で顔が売れていたというわけでもない、なんらかのエスタブ、2世以下ってこともないらしいという人を自民党の県知事選に出したというのはどういう理由なんだろう?他に候補者はいなかったのか? 汚職がらみで前知事辞職に伴い、だそうなので玄人筋は黒かグレーばっかりで誰も立候補できなかったのかもしれない、とは直ちに思いつくが、それにしても、人材枯渇か?と思わせる一件だ。結構、地方における旧エスタブリッシュ層の自民党離れとか深刻なのか(それか県連が上の党籍民主、実際自民を隠然と応援しちゃったとか?)

上の森さんの話は最後に、

 一番の問題は知事だと思うね。知事は必ず自治労日教組と妥協するんです。それで次の選挙で応援させる。そうすればよほど失政がない限り、2期、3期はやれる。さらに4期、5期…。地方議会も知事の子分に成り下がっている。

と、問題は知事なんだ、とわざわざ言っていて(10/31付け)これなのかというのが、うわぁ、と思った。


積極的に自民党頑張れ、というほど好んでもいないが、外交政策に関してだけでは超党派で望むという決まりでもない限り、今の民主党に期待できるものは殆どない、というか、怖い要素さえありすぎるので、自民党にはもうしばらく踏ん張って欲しい気はする。多分、次か次の選挙あたりで、このぐじゃぐじゃ状況はピークとなって、分け方を考え直そう、となるんだろう・・・と思い続けているんだが、しかし、そうだとしたらもうそろそろ誰か目立つ人なりアイデアが出てこないとならないはずなんだが、いなくね?というのが不安。このままでは、へんな脱皮になりそうだ。