知財のもつれ


どうでもいいといえばどうでもいい話ではあるのだが、(さらに、ソースがソースなんだが)、


中共政権、さらにカトリック主教任命、バチカンとの関係悪化
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/05/html/d36881.html

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これって、知的財産権、商標、広義の著作権の問題、あるいはまぁ普通の意味でのビジネスとして考えたら面白いなぁと思った。つまり、バチカンというブランドは、中共政権管轄下の誰かに対して、俺らはお前を「正規代理店」として認めないと言っているということかと思う。


それに対して、どうしてそれでいいのかわららないが、領主は自前で「正規代理店」を作ったので通せと言う。


普通に考えたら話がへんなのだが、なぜだかそれでいいと言い張る中共様。こういう場合、ニセものブランドでも作って、俺は俺でやればいいんだろうけど、ブランドを立てるにも時間と創意工夫、お金がかかる。それはマンドクセー。だからこそここに知的財産権の問題があるわけだが、ここはすっとばして、ブランドは使わせてもらうぜ、でも俺らは俺らで「正規代理店」を名乗ると言ってしまう・・・・。

 中共政権が立て続けに3人の主教を一方的に任命したことに対し、バチカンは、主教を任命する権限は教皇本人にしかないと主張している。 中共政権は主教を任命することは中国の内政であるとしている。


なんか、コピー製品どころか企業ごとコピーしちゃうというニュースをこの間読んだばかりだが、とても似ている話に見える。で、外でどうあれ、俺の領土(シマか?)に入ってきたからには俺らの流儀に従え、と。
(これでいいのなら、では、どこかに、例えば、中国共産党を名乗る組織を作って、その名前で文書を多発し、何かを販売するとか騙すとか、契約するとかしてもいいってことだろうかと思う。モラルの問題だが。)


斯くなる上はバチカンは、典礼一式とか、新入者への教育マニュアルとかにコピーライトをくっつけて使わせないようににすればいいのじゃないか。でなければ、禁輸措置を取って、チャイナ国内のものはすべて正規代理店を通しておりません、ですので、そこで発生する苦情やトラブルには当方は関知できません。万一ご使用になる場合は、オリジナルの製品との差異によってもたらされ得る危険性を十分にご承知の上で、自己責任でお使いください、などクレジットを入れる。ローマ教会および親戚の教会の自前の教会網さえあれば、日曜日が3回ぐらいあったら、あっと言うまに世界中におふれが回るだろう。


思うに、モノの考えたかとして根本的に横たわるのは、徹底的に、「他人」という概念が欠けている人々がいるということかと思う。他人がいるから他人のモノがあり、他人のモノは私のモノではないのだが、それがわからないらしくみえる。多分ここに横たわるのは、この想起を正当化してしまう、人類普遍の財産、みたいなアイデアだろうかと思う(ボルシェビズムと言ってもいいか)。程度問題だがこのアイデア自体が問題なのではない。問題は、このアイデアが、他人と自分の区別が甘いところにかぶることだ。くどいが、言い換えれば、適度から過度に私的財産権が整った中にあって共有財産というのが設定される場合は問題がないのだろう(自分だけのものではないのだ、分与しているのだ、といった発想から共有財産を占有することは他の分与者への裏切りとなる、ここからみんなが守るルールの必要性が導かれる)が、甘い場合には、分与ではなく、みんなのものは俺のもの、になってしまって、どうやって俺のものにするかを争う以外に戻る道がなくなるのではないのか。


冗談半分で書きはじめたが、結構シビアに今後どうするんだろうかの問題かもしれない。