反省する時はあるんだろうか


天声人語】2006年04月21日(金曜日)付
http://www.asahi.com/paper/column20060421.html

 メディアの報じ方には、国民の思いが投影される。韓国で、竹島問題に屈辱的な植民地時代を重ねる感情が根強いことは、日本側もわきまえる必要がある。そのうえで、ねばり強く外交交渉を重ねるほかはない。


メディアの報じ方には、国民の一部の主張が強くねじこまれるものだ。


屈辱的な植民地時代というタームが単に導火線の役割を果たしているという認識が今般の事件に関しては肝要だろう。これがある限りパブロフの犬よろしく見境いがなくなる人がいることが取り分け問題だとしても、ずっと観察していけばわかる通り、導火線になるように、個別のどうでもいい事件で条件付けてきているわけだ。


なんつーか、この人たちがマッチポンプで作って行ったトレンドが応援したその先にあるものを私たちは見ているのだが、という視点を、これら高級ではなく高給サラリーマン諸氏は考えもしないのだろう。

結局のところ、メディアに騙されてはいけないという反省だけが残る。しかし、その個別のメディアに反省させることはできないものなのだろうか。まぁそういうのに血道をあげるとネガティブな人生になるからあまり真剣には考えないが、私はやっぱり朝鮮およびチャイナがらみの諸々について朝日およびその他新聞の一部(まだらで)、そしてその影でなかなか見えないにせよ岩波書店が取り続けてきた行為は許せないものがあると昨日も今日も多分明日もそう思う。