ナショナリズムと累進課税


北米は確定申告の季節。
特にネタはないのだが、毎年思うことをひとつ。


ナショナリズムを頭っから否定して、その上で累進課税を当然だ、贈与税も当然だと考える日本の左翼というのは根本的に頭がどうかしているのではないのか。


これは、この社会を自己と一体化させるほどに大事に思う人々こそが国民=租税の負担人であり、そこに区別はない、だからみんなで再分配するのだ、というアイデアがあってはじめて成り立つ仕組みだろうと思う。そうでなければ、最大譲っても、一定以上の税金なんか払えるかよ、になってしまう。


したがってグレーエコノミーが大きいところというのは、うそんこのナショナリズムなんだ、など言ってもいいかもしれない。また、このマーキングによって、そのナショナリズムが、本質的に対外的なものか、それとも本当にその社会に価値を見いだそうとしている、高いものにしたいという欲求の現れなのかを計ってみることも可能ではないのか。



真面目に言うが、日本って、農地改革をたいした混乱もなく実行できたほどに、国、または社会を大事に思う志ある人がたくさんいる社会なのだという点を、私はもっと国民的に周知徹底させるべきだと思う。遡れば大政奉還もそうだ。