しばらく書かなかったら書くという習慣を失っていて、書こうとしてもさてなにから?になってしまって書けずに3月を送り、気がついたら夏時間に移行してしまった。昨日から1時間早まって、日本との時差は13時間。これで公式に冬は終わり、ということなのだが、昨晩は、日中の、生物にとって好ましい温度とはこれぐらい、の範囲を維持しきれなかったトロント上空の神様だか大気だかは、突然0度付近(少なくとも体感はそうだった)に戻しやがってぇええ、でおかげで寒くて寒くて、ご飯を食べに出た先から帰るまでに、寒いからちょっとコーヒーでも飲んで暖を取ろうという真冬の様式を実施するはめになった。暖かいものを身体に入れるとしばらく暖かいものなんですよ、まじで。


いやそれはともかく、すでに1週間がたっているので話されるところでは話がすぎた話題かなという気もするが、先週のThe Economistサーベイは、チャイナだった。普通このサーベイはへ〜と思うような視点およびデータがあって面白いのだが(私がほめることすら無駄なオーソライズされた雑誌ではあるにせよ)、今回は、なんちゅー凡庸な、というのが私の感想だった。


結局のところ言いたいのは、改革するなら経済が好調な今しかないんだぞ、というご忠告をしたかったということなのかなと思うわけだが、そんなことは中共様とて百も承知だろう。そして、それにもかかわらずやってもやっても、なんかなぁ〜というのがチャイナだっていうところが大変だってことが、なんつーか、書いている人たちに理解されているんだろかなど思った。

No time like the present
http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=5623319
http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=5623371


方針としてこれをやったらどうですか、の一つにあげられていたのが、農民の土地の所有権をはっきりさせよーよ、という問題。だれしもそう思うわけだけど、これってそんなにきれいに行くのかいな、という点へのグレートなケアが紙面からはあまり伝わらないというのが、なんてーかかんてーか、近代にどっぷり使っていて、自分のものと他人のものの区別が既に自与となって幾久しい人々だからなのだろうななと思ったりもした。とても簡単なことに見えるのだろう。


1949年のなんちゃって革命、あるいはマーガリ共産主義の不手際も手伝って、農民の土地が個人に一回ふるまわれた(地主を殺して)かと思えば、今度は集団管理になって、党の支配下になって、しかし実質的には党のというより地方官僚層の配下じゃまいか、という点もあるわけで、この状態は、今が近代で、そこが共産主義だと聞くから共産主義がもたらした状態だ、と見なされるわけだが、なんのことはなく、単なる古代的農民管理体制がずっとそこにあるってことじゃまいか、など私は思ったりする。言葉は悪いがいわゆる農奴制的なところ、つまりドイツの東から東、つまりだいたいロシアというところと、チャイナがいわゆる共産主義という集団管理体制に以降した、あっさり、というのは偶然ではないのだろうと思う。これがフィットしてしまうものの考え方があるからフィットしたんだろう。


で、そこを断ち切るためには結構な啓蒙時代みたいなのが必要なわけで、そしてその移行期には不運な人も排出されるわけだし、アンラッキーがルサンチマンの温床になったりとかなかなか大変だとしてもとりあえず何代かすれば収まるところもある(おさまらないこともある)、という流れがどうしても必要だろうと思うんだが、その時間を見越して書いているとも思えないと言う点もなんだかな、だった。


さらにこの記事では、農民改革として、1949年に南朝鮮が導入した制度はえらかった、あれが農業経済から産業パワーハウスになれた成功要因だ、と書いているんだが、それはそれとして、それってさぁ、それに遡るところの36年間の日帝物語あるいは信じられないぐらいのお節介物語のファクターはまるで無視ですか、そうですか、とも思った。ま、ここについては言及は控える。どういう意味でも関わりたくないから。だからこの記事もこれはこれで、そうか、日本人のためを思って筆をはしょったんだなと理解しよう。そうか、そういう善意か(笑)。


と、久しぶりにメモ書きしつつ、なんにせよ、今って、過去50年か70年ぐらい持ったパラダイムが変わってきてる時期なんだろうという思いを強くする今日この頃。いろーんな点でそう思う。