タバコ屋のイチロー

そもそもどういう仕組みなのかまったくわかっていないのだが、日本-韓国戦で、よーやく勝ったそうで、まずはめでたい。

http://live.sports.yahoo.co.jp/sportsnavi/191_wbc.htm


久しぶりにネットをだらだらだらだら見てまわっていて、2チェンネルに行ったら、あっちにもこっちにもWBCの文字があって釣られて見に行って、そういうことなのかと納得。


どういうことかといえば、1週間ぐらい前だったか、よく行くグローサリーストア、食品屋というより、日本語環境的には、近所の煙草屋、みたいな存在であることろのそれに行ったら、そこのご主人のコリアンのおっちゃんが、新聞を熱心に読んでいて、私がお金を払うのに台のところまで来たらニマニマしながら、イチローはtoo muchだ、と言うから、な、なんの話よ一体と思いつつも新聞の中身が見えたので、ああ野球かとまではわかった。がしかし、わけがわからないので、なんで?と言ったところ、イチローは、コリアはジャパンに勝てないって言った、というのだった。[捕捉;ここはカナダ、トロントです。]


で、確かその時は、今から考えると韓国が勝った時なのかな? 時系列がよくわからんので多分、ってことだが。イチローめ、なんて太いやつだと怒っていたが、しかし実際には自分たちが勝ったので、気分はつるし上げ状態で、そこに飛んで火にいる夏の虫よろしく私が来たのでうれしくてたまらんかったんだろうなぁと思い出す。


誤解のないように書いておくが、私はこういうのを嫌な気分で書いているわけでは全然ない。勝ち負けが絡んでる時には、なんでも言う方が健康でよろしいと思う。くそったれ、ばかやろうー、なんでもあり。


で、まぁ、その時はしかし、それ以上に、あれ、イチローってそういうキャラなのか?と思ったりもしたのだが、2チェンネルを見たところによれば、イチローにいろいろ嫌がらせしてるらしーじゃん、コリアン、ってのもあるらしい。どこまで本当なのか全然わからんのだが、サインを貰って目の前で破いた人がいるってのを読んだ。なんだ、お前、でしょ、それは。


【WBC】イチロー「僕の野球人生で最も屈辱的な日です」〔03/16〕
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1142500095/l50


そんなに悔しかったのかぁとこれも驚きだったが、では晴れて勝ててよかったよかった、おめでとーと言いたい。つか私もうれしいので、ありがとーでもあるわ。


が、しかし、なぜそこまで、とさらに思いもすれど、いやしかし、どこまでどうなのかはわからないけど、2チャンネルで得た情報をたどっていって発見したこの記事なんか見てると、なんかこう、イチローならずとも、なんか言いたくなるものはあるなぁなど思ったりもした。4-3で良い試合で勝ちたいというより、26対0(サンディエゴ記録)みたいなシャットアウトゲームで勝たないと気が晴れない相手かもなぁ。

確かに、松井がいなくても日本野球の選手の層は厚い。金寅植キム・インシク)監督が認めたとおり、「今のレベルの韓国代表チームを2、3つくれるほどの選手」たちを保有している。にもかかわらず韓国が連戦連勝したのは、「李舜臣(イ・スンシン)精神」、「義兵精神」にたとえられる精神力の賜物である。米国がメキシコに負けて脱落し、韓国は準決勝でまた日本と対決することになった。日本は「雪辱」を果たそうと刃を研いでいる。先の2試合よりも緊張する乾坤一擲だ。「3連勝」をあげたなら、いくら軽率なイチローでも、帽子を脱いで謝りはしないだろうか。

http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2006031893928


最後の一文がすごい。はっきり気持ち悪い。負けたらイコール俺の配下、配下は頭を下げるっていう発想なんだろうか。つか、スポーツ的には、この場合、勝ったら相手が悔し紛れに言ったことは水に流す度量こそ求められるのじゃまいかなど思ったりする私は古いのか。いやしかし、お前負けたんだから謝れ、ってのはどうも私としては理解を超える。


とはいえ、北の大将もいることだしコリア系の新聞としてはある意味通常通りの論説のような気もするけど、それを見ていて思うのは、こっちで会う普通のコリアンのおっさん、おばさんたちって、こんな粘着質ではないと思えること。日本との勝ち負けにこだわる姿勢は常に見て取れるところだが、こんなに暗く(と私は思う)はないと思う。


でも、これを機会に考えてみると、おっさん、おじいさんはそうだが、若い人の中に、無意味なところで(としか思えないところで)、日本とコリアはside by sideだ〜(共存、密接、併存、よーするに並んでるという意味)と言ってみたりして、私を困らせてくれたりはする人とかいるんだよな、というのも思い出されるところ。


どうして困るかといえば、そういうことを言って、そうね、と気持ちよく受けられるのは、結局それを会話している個人と個人が比較的良好な関係、あるいはその場の感情がそうである場合に限られるからだ。お前なんかでーきれー、と思ってる相手にそんなことを言われても、そうね、とは言えない。それはまるで、その個人を私がなんらかの理由で(あるいはすべてにおいて)受け入れているみたいな言辞になる。恐ろしく詐欺的だと私は思う。だからこういう場合は私は、私は日本を代表していないのでなんとも言えません、と逃げる(笑)。


さてしかし、煙草屋のご主人はさぞやがっかりしてるだろう。どうしよう。