女系あるいは皇統外血統の天皇について


お会いしたこともなければ言葉をかわしたこともないのにこういう言い方も失礼かもしれませんが、敬愛すると言いたくなる感じをもって毎度読ませていただいている玄倉川さんが、皇統をどうするのか問題、あるいは女系天皇を認めるのか否か問題について、なにか悲壮な決意を述べていらっしゃた。

私に言わせてもらえば、彼らは真に守るべきものを見失い、完全に本末転倒している。
「現在」と「未来」のみを考えれば「万世一系の皇統」にこだわるのは無意味なことだろうが、皇室の存在は「過去」(歴史)なしにはありえない。はるか歴史以前の昔、建国神話の霧の中から生まれ現在まで途絶えることない皇統こそが皇室の尊さを維持し伝える芯である。現在の皇室・皇位を守るため過去千数百年続いてきた万世一系を断ち切るのは「果実を守るために果樹を切り倒す」ような愚かしい行いとしか思えない。

何を守るのか
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/d/20060128


で、氏は、別のエントリーで、

私は世間では少数派の男系維持論者である。

とおっしゃる。私はこれを読んではじめて、え、これって少数派なの?と思ったのだった。
私は、大抵の人は実際には男系維持派犬ない?覆鵑道廚辰討い燭掘∈?發泙世修ΔいΦい?靴討い襦


かくいう私は、行為の主体者である天皇家とそれに連なる血縁者たちがこぞって絶対嫌だと言わない限り、男系で行ってほしい派。嘆願書を直接皇位継承が可能な人に送りたいぐらい。


基本的には天皇という職掌にあるにせよ誰かの家の出来事なんだから、その家の流儀でやるのが一番、で、私たちはその族長を天皇と認めるというスタンスでいいんでないの、と思う。そしてその一家の流儀はこれまでのところでは完全男系存続なんだからそのまま行ったらどうですかとも思うし、個人的な希望ではまったくそのまま行ってほしい。だから嘆願しようかと書いた。そういう考えを持つ私からすると、天皇家の世継ぎのための「有識者会議」なんてナンセンスだとさえ思うし、そういうことをすることが筋が通っていると思っている人というのは、自分では気付いていないかもしれないが、天皇がすべてを支配しているかのような錯覚に耽溺している人なんじゃないのかなどさえ思う。


また実になんつーかナンセンスなことをしているとさらに別の意味で思ったりもする。


なぜなら、男系が途絶えることってほぼあり得なくないか?と思うから。直近、直系を外せばどうやってもどこかに男子はいるでしょ? で、日本人の少なからぬ人々がどうしても男系しか認めないと思っているのなら、それはつまり、どうあれどこかに「天皇」はいる。存在し得る。続く。


笑い話だが、100年ぐらいたってこんな話になってるかもしれない。
20XX年に女系、つまり皇統以外から出た天皇が日本国の正式な天皇となった。しかしそれを認めることなく、XX前のXX王子の子孫であるXX氏を天皇とする人々が当初より多数ありその後長く対立することとなった。反対派は俗に「皇統派」と呼ばれ、旧都である京都御所を根拠とした。またこの時代を後南北朝時代と呼ぶ。前南北朝時代には交代で天皇を出す妥協案も盛り込まれたが後南北朝期にはそうしたこもなく1)、また特に目立った内乱もなく両統が継続した。やがて20XX年、女系派のXX子女王が皇統派のXX宮と結婚するに及び両統並立時代はあっけなく幕を下ろした。
(神器争奪戦はまた別問題(^ ^))
1) 間違いました。両統迭立が機能しなくなったことにより2人の天皇2つの元号が並立するという事態に発展したが、と訂正。


なんてどうでしょう? いや、マナジリを決して反対することも必要だとは思うし、私にしてもメールおよび電凸してもよくってよ、など思ってはいるのだが(こうした人々を皇統積極派と呼ぶ、とか(笑))、しかし、多分、ここには少し考えてみてもいいことが1つあるかなと思う。


つまり、天皇になるという行為は、日本国民が決めるものなのかという根本的な疑義。私は、上で書いた通り、天皇を国民の象徴とするというあり方をむしろ字義通りに解釈している。そして、天皇がどう出自したかにまで私が立ち入る権利があるとは考えていない。別の言い方をすれば、天皇とはまずある特別な一族の私称であり、だからこそ余人に覆す権利はないと考える。


(ちなみにヨーロッパの貴族がどうあれ貴族なのはそういう理由だろう。国家制度的になくなってもハイソサイアティーは残る。)


また、天皇ってその上には誰もいないから、あるいは彼を認可する人はいないから天皇なんじゃないのか?などとも思う。国王と皇帝の違いってそこじゃないのか? ある認証主体からの(たとえ形式上でも)認証がない限りその地位を全うできない人と、自ずからそうなる人の違いってこと。で、そこで唐突に国民からの手続き的なもの以外の認証が出てくるっていうのも凄い話じゃないのよ、と思うのだ。


さて、しかしではなぜ女系派にせよ、皇統派にせよ、非常な熱意を持ってこれを語る人がいるのか。推測してみるに、それは、「あの家」の人たちへの愛着なのではなかろうか。つまり、昭和天皇、あるいは明治天皇以降のこの近代の王朝の人々への限りない愛着が、それ以外の家の人々を阻害する要因になってるのじゃないのかなど思うがどうでしょう。ここにはもちろん、1945年を境に、日本語の「家」という概念が一世代限りの極めて狭い意味になっていることも関係する。日本の1945年には、英語でいう「ファミリー」は存在していないのじゃないのかと私は時々思う。自分の「家族」に該当する人に叔父とか叔母、大叔父、大叔母を含められない感覚の人が多くなっていると思うし、法制度上の枠がそうだからそうなるようになったとも言えるんだろうが、なにか、著しく反社会的というのか、世界的でないというのか、変な感じだよなぁなどと私は思うことがある。で、ファミリー概念が存在していれば、2、3世代前の男子が突然出ていても別にへんではない。


そして、今話題の「有識者」は一説によれば、むしろ天皇を戴く制度に反対の人ではないのかとも言われてるようだが、女系議論の推移を見ていると、彼らこそむしろ「あの家」への撞着の程度が著しいんじゃまいかなどとも思えるし、彼らには明確にファミリー概念がないという点で、なんて狭い意味の日本の人なんでしょうなどと思ったりもする。


最後に、

で、玄倉川さんのページで知った小泉純一郎先生のお言葉は、玄倉川さんは丁寧に読みほぐしていらしたが、私としては、ひょっとして純ちゃんって人は、良くも悪くもまるでまったくこのことに興味がないのではないのかとの疑いを持ったりする。根本的に伝統への愛着、固着というのはある種の情緒、ある種の教養、ある種の文学的な素養がないと醸成できないものではないのかなど私は思うんだが、もしそうだとしたら純ちゃんにそういうものがあるとは私にはまったく思えない。