どこまででもいく

内容的にはまったくどうでもいい話しなのだが、形式の問題として考えたい。多分、今後の日本に必要なキーではなかろうかと(大きく出てるけど)不詳わたくしはそう思う。


社民党首 外相靖国発言追及へ
http://www3.nhk.or.jp/news/2006/01/30/d20060129000132.html


内容は、社民党のみずほちゃんが、麻生大臣が、戦没者は総理大臣万歳っつって亡くなったわけでなく、天皇陛下万歳といって亡くなった、for the Emperorだったんだから、陛下が参拝するのが筋じゃないのかと話を向けた、あるいは自説を開陳したことに対して、そんなのへんだわとクレームを入れたということ。


それはそれでいい。なるほど、だ。


問題は、このような時、クレームを入れるという行為はいいが、ではクレームを起こすその事情は何か、つまり、なぜ、の部分をみずほちゃんは述べなければならないし、それが上手く述べられていないなぁと思ったらジャーナリストの仕事はそれを聞き出すことだということ、これに対する理解が日本のマスコミの多くに枯渇してはいないだろうかという点だ。

これについて、社民党の福島党首は、「小泉総理大臣の靖国神社参拝が引き起こしている問題をまったく理解していない、きわめて問題のある発言だ。外務大臣が、中国や韓国との関係改善に向けた外交努力をするのではなく、外交面できわめてまずいこのような発言をすることに非常に驚いている」と述べ、この発言を国会で追及していく考えを示しました。


考えを示しました、なんつーマトメではいかんということなのだよ、NHK(その他メジャーマスコミはほぼ同様のことを始終していると思うのでここは代表してNHKと呼ぶ)。


この場合NHKは、そういうみずほちゃんに対して、「なぜ?」と向けて、それが帰ってきてまだクリアじゃなければもっと聞いて、そこではじめて、みずほちゃんは、AAAAの理由を以て反対していると書ける。


ま、その理由が、チャイナおよび韓国が怒ってるから、だったりする場合もありそうだが、それならそう書く。それがみずほちゃんが言いたいことなんだから遠慮はいらない。で、理由が取れないんだったら、理由は明らかにしなかったと書いてもいいと思う。小泉純ちゃんが理解してないと言ってるなんてことは全然重要性がない。


で、現場のやり取りを想像するに、記者たちはただ聞いてるだけなんじゃまいか? 言われっぱなしのままってやつ。でもって、聞こう、訊ねようというモチベーションは記者本人が「へんだな」と思った時に限られている、とかいうのもありそうだ。


その場合は、記者本人はまったく気付いていないかもしれないが、実にまったく初歩的な手続きで実にまったく主観的な記事を書いているということになる。理由は何かを追う場合は自分の賛否にかかわらず理由の有無に気が向くから、自分がどう考えていようとも基本線はぶれない。それに対して、理由の有無に気がいかない場合は、自分がどう考えているかを、理由に言及しないという一時によって披瀝している可能性もある。


追従していると死角が出来る、などと表現してもいいだろうし、自分が納得している時こそ訊け、と指導するのもいいのかなと思う。納得するな、惚れ込むな、とか、そういうマインドセットを作ってから取材に出す、と。で、マインドセットを作ったら、それをフォローする仕組みとして、何を訊いてきたのか社内で(あるは同僚間で)話すという仕組みにする。その時同僚は完全に賛成できる意見だろうと、理由の有無に焦点を絞って話を聞いて、なぜ、を埋めて行く、と。


ま、なんでもいいんだが、みずほちゃんは一体なにがどのように問題だと思っているんだろうかなぁ。で、尋ねたら、そんなこともわからないのか、などと言われそうな気がする。その場合は自分で論証できない、自分の論証の正当性を他の正当性に委ねていることになるわけで、そうなった場合には、そういうのはロジカルにはペケなんですが、など私なら突っ込む。するとみずほちゃんが、失礼ね、私は東大で弁護士なのよ、となったら、そういうのも同様にロジカルにはペケなんですけどと尚も食い下がる。


とか書いてるけど、この人と話しても時間の無駄そうだからなぁと感じている自分がいる。