世の中というのは動くものだ

ホリエモンねぇ・・・と、なにを聞いてもこの人の話だと途端に興味を無くしてしまう私なので、あんまり読みたい気は起こらなかったが、とりあえず大事風なのでざっと読んだ。なんかこう、クレジットの意味を曲解したまま、罰せられなければ何をやってもいいという人のまま大人になって太った人なんだからこうなった、だけのようにしか、そう結局興味を持てない男だわ、ではあった。


それよりも、東証がまずくないっすか??と思った。マネックスはまぁこれはこれで、すんごいことするなぁではあったが、それはそれとして、しかし東証というこの場の掟がエラク甘いっつーか、なんつーか、あれ、なんかもう処理できないので、ええそういうことで、でいいのかぁ???? よくないだろう絶対、という方に驚き、恐くなった。場が開いていることが前提で、お金のやり取りをしているわけだから、ここが恣意的になるというのは、あってはいけないのではないのだろうか? もちろんぶっ壊れてもいけないわけだが。


このへんは、プロであるグッチー氏がきれいにまとめてらしたので、この間頭を整理させていただきました。でもって、私は素人だから単なるビジネスモラルみたいなものから言っているだけだけど、現場の人は結構戦々兢々なのでは、などとも拝察します。

ラスベガスなどのギャンブル場の最大の、かつ犯すべからぬ最重要のルールは賭場のルールを勝手に変えないということです。
勝手にこれを弄ったらギャンブルにならなくなります。

日本唯一の政府公認賭博場である東京証券取引所はこれをやってしまった訳ですね。東証の皆様は、このあたりの事情に関して、ラスベガスをご参考によーくお考えになった方が良いと思われます。取引所にとって流動性の確保とは、命より大事な事柄だ・・・・となぜわからんのでしょうか。

トリビアか、お前は!!
http://blog.goo.ne.jp/kitanotakeshi55/e/fcbce8f32319bd2f2fd9cc98a18ba169


まさに。


しかし、冷静に考えれば、手で、いわゆる場たちの人たちが裁いてらした頃はどうなんでしょうね。1929年のアメリカとか、どうやって処理したんだろう? と考えてみても、しかし多分あまり意味はなくて、参加者の絶対量、取引きの絶対量が違うんでしょう。過去にあっては小口の人が現在とは比較にならないほど少なかったはずだから。


で、この絶対量が増えた、ちょっとづつ保っててくれる人が増えたことで、あたかも、1万円出せと言われたら考えこむしケンカにもなるかもしれないが、1ダラー、1ダラーと言われると、いいかまぁと募金する、たとえそれがどこに行くのかホントはよくわからなくても、という具合に、ホントはよくわからないものの、利益配分の権利を買った、つまり株を買った人数がうんじゃりいる、ということが、この件があらわした一つの側面でもあるかななど思う。

(そういう意味では、ホリエモンを見てると、証券取引法というより、証券モラル法に反しているなど言いたいものがある。)


そして、さらにもう一つ、この、多くの人にばらけて持ってもらうという事態が、特定の人が真剣になるという契機を分散しているということでもあるかななど思う。


具体的にいえば、いや、どこまで言っても、1万円と100円(1ドル)の募金の話と同じだ。


特定の株主が大きな利害を持っているという表現を聞いただけで、「利害」という語に翻弄されて、悪いこと、とか答えたくなる人もいるだろうが、特定の人がからむからこそ、シビアになる、なぜなら利害が確かにあるから、という側面もある。どうあれ、ホントに儲かる話じゃなきゃのらない。一方で、多数が小さな利害しか持たない場合、多数は、それぞれの小さな利害分しか感心を持たず、それが多数いたところで、懸念の大きさは集積されない、ようだ。組合でも作るか(笑)。