多分、嘆くことすらできないことが問題なのじゃまいか


圏外からのひとこと」さんが、拙ブログからの一節で、非常に面白いことを書かれていた。

「ぼやく」「嘆く」という仕事はもういらない
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20060109#p01

日本の社会ストラクチャーは、貴族班と武士班で成り立っていて、前者の主な仕事が「ぼやき」で、後者はつまり実務班みたいなことだろうとおっしゃる。なるほどと思いました。

つまり、「筑紫風論説」は、汚れ仕事には手を染めない貴族の末裔であって、日本人の精神は、それを必要としているのだと思う。

こういう人たちがボヤいている裏で、検非違使=武士が着々と実効的な作業を進めるというやり方が、日本人にはしっくり来るのだ。戦後日本において、その検非違使=武士的役割を典型的に担っていたのが、元橋本派に代表される土建政治なのではないだろうか。


で、この貴族班は、権威商売、言語商売担当者などと言ってもいいんだろうなと思う。権威+言語の最たるものといえば大学教授をはじめとしたら「識者」か。筑紫おじさんは、まぁなんつーか、その識者のための太鼓持ちみたいなものだろうか。


そういえば、昔朝日ジャーナルを抜本的に改作したのはこのおじさんだったと記憶するんだが、思えば、あのアクションは、権威商売の重要な武器であったところの、とりあえず、どれだけ面倒でもどれだけ時代遅れだろうが、どれだけ現状と事なっていようが論理的であろうとする姿勢みたいなものを流して、メディアに大きく寄りかかる姿勢を作ったという点で活気的だったかも。しかし、それは当然、その班を、メディアの援護がなければなんにもない、実は裸の王様ですおれたちというサークルに変化させることでもあったわけだで、今日の凋落はもってこの変化に由来するのかもしれない。


言い方を変えるなら、日本的な貴族(これは西欧社会とは全然異なる)は、そうはいっても歌が読めるとかそうは言っても蹴鞠ができるとか、そうはいってもなんか「やんごとない」、語り口が下品な方向にでなく普通でない、といったある種のスキルを媒介にしつつ、人々の中に露出された時に、あきらかに他の多数と異なっていること、をあらわにすることができた。指標があったとでもいうか。これに対して、筑紫編集長率いる改革軍は、このマークを捨ててしまった、などと考えることもできるだろう。


ということは、貴族対検非違使構造は私たちの社会の基礎だとしても(私はこの説をサポートする)、その貴族班のいわばクオリフィケーションは大幅に変化してしまっているわけで、貴族が貴族足り得ない状況が出来していると言えるかもしれない。


従って、私は、圏外さんの興味深い引き出しに深い感謝と尊敬を送るものだとしても、この結論には異論をはさんでみたいかな、など思う。

しかし、2ちゃんねる小泉人気は、このような役割分担を否定する動きの現れであり、日本人の精神が大きく変動していることのシグナルではないかと思う。


社会構造は別に変化していないのではないのか。変化しているように見えるのは、貴族班がいなくなっているために、「なげき」を実行できない人々が増えているのではないのか? むしろ、2チャンネルをはじめとしたネット上の言辞を徘徊しつつ、なげきの場を模索しているのではないのか、などとも言えるかも。


ま、現実を観察してみれば、論理的、情報概括的であるわけでもなければ、時々、いったいあんたどこの人?というようないわゆる特定アジアへの筋の通らない肩入れとかが顕著になってしまった以上、大多数の人にとってそこが「なげき場」になるとは思えないわけだ。


私はけっこう2チャンネルを見るのだが、中を見ていて、書き込んでるひとなんかは結構「実務班」のひともいるように見える。しかし、それを覗いている多くのひとは、ここに「なげき」を探しに来ているのじゃないかなど思うわけ。共感したり、なるほどそうか、なるほどそれって理屈だな、でもそうは言ってもそれじゃ食えないしな、とか、それは正義かもしんないけど、それじゃなぁ、とか言いたいがために何かを探しているということ。


ま、2ちゃんねる等のネット上の仕掛けの多くは、実務班も、嘆き願望班(つまり貴族到来願望班)も両方入ることができるという点で、かつての雑誌類、新聞類とは比較にならない器だから、2チャンネルの帰属性を限定することは土台無理だとは思うが。


で、私の母の述懐に戻ってみると、彼女は、筑紫が嘆いている、と認識したわけだが、それは、自分が一緒に嘆くことはできない(言辞上賛成できそうなものがあることもあったのに)という地点でもあったかもしれない。これは突き放しました宣言だったとも言える。貴族(上記前提から知識人と読み替えても可)だと思ったのに、全然違うじゃん、じゃああんたと嘆いても仕方ないんだね、みたいな。