日本の目指す進路?


と、なにごとによらず陰極まれば陽がきざすはずなのだが、陰のままでいるような感じがするのは日本のメディアか、など思ってみたりする。


単純にいって、こういう設問の仕方が誤りなのではなかろうかと私は思う。

「一億総中流」時代は終わり、格差が広がりつつあります。効率追求の競争はますます激しく、会社も人も「勝ち組」「負け組」にはっきり分かれようとしています。自殺は毎年3万人以上、生活保護は100万世帯を超すという現実が私たちの眼前にあります。これが「頑張れば報われる」新しい社会像なのか。それともセーフティーネット重視の相互扶助型の社会を選ぶのか−−。海外にも目を向け、日本の目指すべき針路を読者とともに考えます。

縦並び社会・格差の現場から:アンケートと連携の新連載 29日夜開始
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/tatenarabi/news/20051228org00m040064000c.html



まず、格差が広がりつつある、というけど、それは本当か? 格差は常にあった。なくなったのは、「一億総中流」という幻想のようなスローガンのようなことを言っていても誰も文句を言うチャンスがなかった時代ではないのかいな。つまり、新聞を中心に、「みんな」が同じようなことを考えたり、同じような生活をしているような前提に立ってものを考え、言論を編む時代が終わったということじゃないのかいなということ。とどのつまり、言論関係者の言論の前提が壊れた、というのがこうした言辞をはきたくなる中心的なモチベーションではないのか。


なんのかんのといって昔から、人々は個々の生活を個々の責任で営んでいるものだ。


格差という点でいうのなら、「効率追求の競争はますます激しく、」ということを、どういう意味で書いているのか知らないが、動き、開発、上昇といった点を閉ざそうとすると、最終的には、相続型の社会にドライブがかかるから、より深刻な格差拡大社会になる。個人が一生に稼ぐ分の大きさに関しての可能値が小さくなれば、財産相続者しか「勝ち組」になれなくなる。(何を視点に勝ち負けを言うかという問題はこの場合は捨象。毎日が言うような金額ベースのことを念頭におく)

競争はますます激しい、だから格差が広がった、という因果関係は、私にはおかしなものにしかみえない。
競争が可能であるから、生まれた時に、財産持ちではなかった人にも、相応の上昇機会がある、ってことざましょ。もちろん、それでもそうはなれないということもあるわけだが、だからといって、上昇機会のあることがそうはなれなかった理由だ、というのは論理的でない。1)



アメリカのモデルでいえば、つまらないつまらないと言われる中西部あるいは郊外は結局のところ、自分で稼いで自分で家を買ってというモデルがまだ生きているところである一方、サンフランシスコなどは典型的な、相続者とそれ以外になっている街となる。どっちが好きかは、それこそ個人の自由であって、いやなら移れがアメリカ。「日本の目指すべき針路を読者とともに考え」るという考え方で、全員の進路を考えるべきだとはアメリカ的でない何者かだといってどこかから苦情の来る気配はない。機会を求めて移ることを奨励する人はあっても、機会を求めずその場で個人のではなく「全体の進路」を考えることが奨励されることはない。


で、アメリカを極端な自由貿易主義万歳社会と考えた場合、日本との大きな差異は、本拠地から絶対に移らないというある種のコンセンサスかな匹箸盡?┐襦I秡津鼠茲涼呂鯲イ譴覆ぁ△澆燭い福


しかし実際にはこれは嘘か思い過ごしにすぎないわけで、明治以来(あるいはもっとずっとその昔から)人々は東京、大阪、名古屋などの大都市に移住しつつ生活してきた。食えなかったからだといってもいいし、大志を抱いたからだといってもいい。そして、その中で、移るのも自由、移らないのも自由、移ったからといって幸せとも限らず、移らなかったからといって幸せであるとも限らない。なにより何を幸せと思うかはそれぞれ個人に依存するのだからというのがコンセンサスとなっていったと言えるだろう。




ということは、今になって、機会追求型、つまり、競争歓迎型の社会を新しいことのように言うのは、事実に則してはいない。新聞屋がまた自説を述べるために勝手な前提を作ったな、など思っていればいいのではあるまいか。「これが「頑張れば報われる」新しい社会像なのか。」(前掲)、って、新しくないんだってば。2)


で、要するに、団塊だかなんだか知らないが、そうやって競争してきた世代が保身に回った時、全員がハッピーとも言えなくなってる、さあどうしましょうということなんだろうかなどと見える。全員に潤沢な年金資金がないじゃないか、さてどうやってそれをまかなうか。それは結局、保険徴収式という自由・競争社会型によりフレンドリーな方法ではなく、強制徴収型の、社会保障ではなく、社会福祉にしちゃおう、そうしたら俺ら安泰だ、と。


1) アメリカの社会はますます「格差」が広がるだろう、なぜなら、金持ち白人(いわゆるヤッピー)は同じような相手と結婚するから、といったことを言う人もいる。

でもって、一昨年の「反ブッシュ」キャンペーンがどこか不発に終わった1つの小さいがしかし小さくない要因の1つには、もしかしたら、大金持ちの女性と結婚して財産を構築しているケリーという人が最前線でかもしていたものもあるかもしれない。あんた、究極の、反・自助努力じゃんかよ、と。



2) 手もとに簡単に取り出せたものなので付録として。アメリカのざっくりしたデータだが、
格差が広がって貧しい人がより貧しくなっていくという「ムード」があるが、アメリカの貧困率は1950年において22%、現在のそれは12%だそうだ。