禁煙ファシズム


禁煙ファシズム」についてお怒りの小谷野敦氏の日記を読んだ。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20051129


11月あたりがとても興味深い。


で、どうして「ファシズム」になるのかといえば、ようするに、なぜ喫煙行為がいけないのかに対する答えとして、非喫煙者はそれが嫌いだから(喫煙者も他の喫煙者の煙が嫌いだと思うが)以上に理由がないのに、いろいろ客観的な理由があるようなふりをするからではなかろうかなど思う。迷惑喫煙とはよく言ったものだと思う。


で、日本の当該ファシズムについてはよくわからないのだが、私としては、禁煙ファシズムならまだストレートだと思う。が、マリファナを吸うのも自由だし個人の選択の問題でしょ、といいつつ煙草はいけないという人を見るたび、しばしば気が狂いそうになる。なんなんだそのダブルスタンダードは。


マリファナは所持するだけで犯罪という話ではなくなった、というところまではまぁいいかなと思って聞いていたが、カナダの一部ではそのあおりで「これは吸ってもいいものだ」的な解釈が横行してる。そしてこれに対して歯止めがない。それに対して、煙草の方は、この統計ってマジか?というものをよく見る。


煙草には健康を害するものがある、だから駄目なんだ、というのならマリファナのそれはどうなのだと私は真面目に思う。マリファナを吸い続けて50年の男(女でも)と、煙草を吸い続けて50年の男の健康上の差異はどういうものなのだ?


さらには、社会的に煙草は副流煙を通して他人に迷惑をかけるうんうんとも聞くが、マリファナでハイになった人の社会的迷惑はどうだっつーんだ?と私は思う。これはカウントできないから無視か?


でもって、最もわけがわからないと思うのは、煙草は中毒性があるがマリファナはない。それって物質の特性には着目しているかもしれないが、飲用する人の特性には着目してない。それとも煙草を常用する人は全員意志薄弱で、マリファナを常用する人は意志が強く適切な処方が可能だとでも言うんだろうか。でもって、そんなことをつくと、マリファナを吸いたい人は吸えばいいわけだし、自由でいいでしょ、多様でいいでしょ、そう私たちは多様性を認める社会なんだから、となる。が、だったら、煙草を吸いたい人の自由はどうなるのだ、だ。しかしこれはどうあっても認められない。なにがあっても焦げた魚を食わずに生きた心地がするかという男の自由は認められるが、生焼けの肉を食べると逮捕される、みたいな、ものすごくヘンな線引きがなされていると常々思う。


これらの体験を通して暫定的に結論しているところでは、ようするに、世間(オーソリティ)が駄目だと言っている以上自分もこれは駄目だと言いたい、たとえ理屈がよくわかっていなくても、という指向(というより嗜好かも)を持つ人は意外なほどに多いのだなということかもしれない。これこそ、中毒だと思う。