労働需給とヨーロッパ


どこまでいってもまとめはないのだが、ヨーロッパ的なものとアメリカ的なものの比較をする場合の基礎的なものの考え方として記憶しておく必要があると思う(反対するかどうかはその後の課題として)。

これも国際会議のときに議論があったのですが、ヨーロッパの人たちが、アメリカは失業者は少ないが、それでも所得格差が拡大しているからアメリカみたいになりたくないと言うのに対して、アメリカの人が、チープレーバーでも雇用がつくられるということはどこが悪いのか、今まで失業していた人が所得にありつけるということを考えれば、むしろ労働需給は改善し所得格差が縮小したと考えるべきではないかということを言うわけです。やはり観察の範囲をどのように考えるかによって結論が違ってくると思います。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no150/houkoku3.htm


ググッて偶然読ませていただいた大学の先生のお話の一部。まとまっているので便利にお借りします。

上の労組おじさんが人間性について非常に懸念されることも非常に非常によくわかるのだけど、アメリカのモデルはしかしながら、回転すること。とにかく職はある、なぜなら一人の人が何があろうともoccpationとして、文字通り、occupyしないから。(ちなみに、what's your occupation、で、仕事は何か、という意味になる)


対してヨーロッパ、殊にフランス、ドイツは雇用したら最後なかなかやめさせたりはできないという社会で、それはそれでoccupyしたひとにとっては結構な話で、もし全員がある程度希望のところを占有できるならそれは結構なことだがそうもいかないことが現実だ。


非常に極端に言うのなら、社会が仕事を求めてヒステリー風になるのがいいのか、閉塞するのがいいのかみたいな感じか。


蛇足ながら、フランスの暴動の時に、カナダ、アメリカの新聞が普通に書いていた主要な議論は、イスラムでもなんでもなくて、真っ先にそして最後まで、失業問題と、そして、この、雇用が固定すること。カナダ、アメリカという移民の本場の感じとしては、occupy型は経験値的にあんまりいいことではないと思っているのではないのか、などとも見える。(そういう固定した環境で溢れたから人が出てきてるんだから)。


だからこの問題は、アメリカ、カナダからすると、ヨーロッパ人ってさぁ・・・という点もあったと思う。義憤にかられて怒ったりはしないけど、ディナーの話題になっていたかもしれない。そうやって食えない人、職がない人がいたら、よっしゃアメリカに行け、と出してきたのがヨーロッパの歴史で俺たちそうやって来たんだものな、ということ。ポジションを得たら最後離さない人が多かったら、そして離すべきではないと人々が言い張るから、そうしたらそうやって「溢れる」人もいるよな、と。でもって、今もそれはないわけではない。


そしてこの今もないわけではないという点で、もしかしたらフランス系は「出先」との流通が、イギリス系との比較で足らなかったりして?などと疑ってみるのもおもしろかもしれない。アフリカ、カリブ海、中東からイギリスに一旦移民して、その後、仕事がなかったかうまくいかなかったか理由はそれぞれだろうが、あらためてカナダに、アメリカに移民してくる人はかなりいっぱいいると言っていいと思う。この10年はどうなのかわからないけど、わりと年を取っている、中年の人なんかで話を聞いているとそういう人によく合う。


参考
GMが北米で約13%の雇用カットをすることになったことでカナダで3800人が職を失う。
自動車産業は関連企業が多い産業なのでこれによって、万のオーダーで職を失う人が発生するのではないかと懸念されている。
General Motors' Canada ops to see 3,880 jobs
http://ca.today.reuters.com/news/NewsArticle.aspx?type=topNews&storyID=2005-11-21T162346Z_01_KNE159006_RTRIDST_0_NEWS-AUTOS-GM-CANADA-COL.XML



finalventさんが「フランス暴動、あれから思ったこと」でニューズウィークの記事を引かれていた。

こうした要因が相まって、ヨーロッパに新しいエリート層が形成されつつある。「雇用のある人たち」という階層である。「雇用のない人たち」を尻目に、この人たちは、過保護な労働法制によりますます恩恵を受ける。


まさにこれなわけで、上の労組のおじさんは、全員がエリート層になれる社会を目指すべきだと、そういうことになるのだろうが、その間にも時間が流れるわけで、その間にも、いくつもの賃仕事をかけもちしないと生きてはいけない人は発生するだろう。


個人的な話だが、私は多分日本にずっといたらこのおじさんの言葉を、まったりと、まさにその通りと聞いていたかもしれないなと思う。そしてそういう台詞を聞きたくもあっただろう。しかし、異国の地に来て思うように仕事が見つけられないという体験を遅まきながら、じっくりと身を以て体験して、人はそうも言っていられない時間を持つのだとよくわかった。理解しないですむならその方が幸せだった部類の体験かもしれない。


そのことから考えて、極めて単純にこのおじさんなどは、ずっとニューヨークに住んでる、そういう意味で、自分はどうやっても「良い仕事」にありつける人だったのかもな、などとも思うし、自分が歩きはじめたキャリアを悔しくとも無駄にしたことがあまりないのかもしれないななどとも思う。


もし自分が18歳でたいした考えもなしについた仕事を変えたいと思った時、職の流動性がなかったら、その個人はずっと後悔しつつその人生を終わるしかない。