戦争で遊ぶな


上で「また、無防備にしますから戦争に関係なくしてください、というのは、どういう事態を想像しているのかよくわからん。」と書きつつ、これって、ジュネーブが出てくることから考えても、戦時下の無血開城宣言的な無防備のことではないのか、など思った。つまり、白旗あげたから、ここは休戦だよ、というやつ。ただしそこまでに行くまでがいっつも大変だし、それが守られるか否かってのも歴史的には常に疑問だったのじゃなかろうか。


なんつっても、一人でも悪意を持った敵兵が入ってきたらその人をどう処遇するか、ってので、一気に中立的でなくなる可能性があるわけだから。つことは、無血開城のためにはむしろ武装している必要さえある話だな、などとも思う。あるいは、無血開城状態を維持するためには、手段を選ばず外部からの侵入者を拒否する、と。つまり、著しく、要塞都市経由の歴史を持つ人々にとって身近な、そうして、ものすごく残酷といえば残酷なシーンが想定される話だ。門の前で人が死んでる図、みたいな。


無防備地域宣言運動の嘘
http://obiekt.seesaa.net/article/9271282.html

「週刊オブイエクト」さんによれば、

「戦争が差し迫ったとき」なんて条件じゃない。「敵軍が目の前に迫っていて占領されるとき」という条件なのに。それ以外の状況で宣言しても物笑いの種にされるだけ。この宣言は敵国軍に向けて出す降伏宣言であり、条例として「平和都市宣言」的に掲げるものではないのです。


とのこと。詳しく調べたわけではないが、一般的な知識を総動員(するまでもなく)、こうした宣言がもたらし得る、あるいは宣言することによって機能が確定されるものって何にもないと思うし、さらには、白旗宣言を最初っから出せといっているのにすぎないことを隠しているという点で、なんなのこの人たちというという話だったようだ。



で、遊ぶな、と腹をたてたわけは、日本というとんでもなく幸せなところに住んでいて、まだ何も起こっていない時から、自分たちだけ幸せでいたいと望むその根性が気にいらない。それ相応に苦労をしつつ戦争をとめるためにはどうしたらいいのか、を考えるよりも先に、俺は関係ないです宣言をするってか。

これを身勝手に解釈し、平時のうちから宣言しようなどというのは、この「最後の防衛手段」が日本においては「形だけの宣言」と見なされ、?僂気譴覆?覆覺躙雲?鯣襪瓩討い襪世韻任呂覆?∪こΔ里△舛蕕海舛蕕忙弔詭餌牡屬竜垰κ響茲剖譴靴狄諭垢魘鯱?垢觜坩戮任△襦H爐蕕諒響茲砲蓮∪鏤?,箸いΕ屮譟璽?和減澆靴覆い里世?蕁

http://blog.goo.ne.jp/g_000/e/50634905a7a21c698198e52f8a4af25b


まさにこれに同意する。実際に、そんな宣言があろうがなかろうが戦闘的と見なされるような見なされないようなというスレスレのところで苦しんでる人たちがいる、その世界の中で、まだ何にも起こらない、起こらないために努力もしてない、敵が誰かも特定されてるわけでもない、さらにいえば、結局のところ海がある。


頭に来る話だが、西宮市がうかれていることができるとしたら、その前に海自が死人を出しながら頑張ってるかもしれないわけだな。それはそれとして、私のところは宣言してますから、なのか。なんなんだ、その究極的に腐った心根は、と、私はこの件に関してはなんかこう、すんません、ブレーキ効きません。


戦争を自分たちの欲望のための道具に使うな、とは、こういう人に向かって言う言葉だと思う。