「「靖国」カードが消える日」


馬車馬さんが、The Economistの先週号のまとめをしてくれていた。非常に正しく読みやすいまとめ(いつものことですが)。
http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_7e0b.html#more


何日か前にもちょっと書いたけど、私も読んでて、ああここまで書いちゃったら、もう「ヤスクニ」は世界的にマジックワードとして威力ないわな、と思ってました。マジックワードの中には、昨日も書いたように、反省とかいて謝罪と読む、みたいな日本と特定アジアでしか通じないことも含まれていて、こういうものが渾然となって、ともあれ日本の側がなんでも前向きに謝罪(笑)みたいなプロトコルで話が進んでいた。で、そのプロトコルが成立するのは、世界というより東アジアの日陰でぼそぼそやってきた、もろもろ(何が何でも日本が悪いという土壌の養成みたいな)があったと。しかし、これはどこかに日が当たった瞬間から、あれ、なんかこの話の進め方へんじゃないですか、と、隠れた前提群を一気に洗ってロジックを見直す作業が続く。すると、このプロトコルじゃなくてもいけるわけですよね、なんてことになる。

The Economistはほぼ間違いなく世界で最高の経済誌であり、その誌面でこういった情報がきちんと蓄積されていると言うのは結構ありがたいことだと思う(実際、欧米の人間は極東で何が起こっているかをまるで知らない。もちろん、日本だってアメリカとカナダの最近の確執を知っている人の方が少ないわけだが)。

と、おっしゃられるように、極東ものは欧米人にしてみると、時間も空間もめちゃめちゃに語られやすいものではあると思う*1)。現実感ないし、通史をやってない人が圧倒的多数だから。だから、NYTみたいな妄想系でも読まれ得る。物語として面白いから。で、そこでとりあえず誰もが知る高級紙が結構丁寧にこのタイミングで論説してしまったことで、物語と現実の線引きは完了というところかと思う。


物語として面白いからと書いたが、物語としてこれを好む層が確実に存在するから、でもいいかもしれない。それはつまり、盲目レフトのことなわけだが、アメリカで見ていて、leftって、別に現実の人の暮らしがどうなるのかにあんまり関係なく存在しているのがこの頃の(あるいは60年代以降の?)トレンドなんじゃなかろうか、など思えるものがある。このへんは、カナダとかイギリスの左翼の人とは根本的に違っているかも。後者は争うべきものが国内政策なので、楽しいなんていられないという人が(今のところ)多数存在する。


で、アメリカとか日本の場合は、国内政策というより外交政策レフト、あるいは戦争反対レフトなので、現実から切り離されても生きていけることはいけるんだろう。話、大きいし。事の性質上、異国の事情なんかよくわかってなくても言えるテーマだから。その代表例が、この間から何度も言っているアメリカのレフト、60年代と同じ主張で同じ方法でいることに安堵してる、それって同級会ですか?みたいなことをしている人たち。相手を戦争屋だと決めつけると安心する、みたいな(酷い戦争しているのは民主党なんだが、ってのをこの人たちってどうして忘れられるのだ?というのが私には根本的に常に疑問だが)。


1)関係ないが、非東アジア人で、私が会った中でこれまでで最もチャイナを通しで見てる人だなぁと思ったのは、トルコ人のインテリ(だが冴えない。すまん)のおっさん。さすが元帝国人なのかなぁとか思った。