感慨深いものがある

一応記念に。7日付けのNYT。

Why Japan Seems Content to Be Run by One Party
By NORIMITSU ONISHI
Published: September 7, 2005
http://www.nytimes.com/2005/09/07/international/asia/07letter.html


オーニシは今日も元気。またオーニシかで終わってしまったね、これも。


なんで日本は一党支配に満足しようとしてんのか、って、昔インターナショナル、今地球市民と組むのは嫌だから、というただそれだけだったと思うんだが・・・。
時間中の各地点では必ずしもそうとはいえないにせよ、総論としては、自民党内派閥こそが各政党で、その他は、日本人の総体としてはとりあえず置いておいたというだけだったのじゃないのかな。現在の民主党の数少ない人々はその上でこの状況ではいかん、自民党を壊して、公論で決せされるような状況、すなわち明らかな二大政党を作ろうよ、という意図だったのじゃないのしらね。今となっては気の毒だが。


もとより70年代までには生活水準を上げるための各種の闘争みたいなのでいわゆる左派勢力にもそれなりの存在意義は確かにあったわけだが、それを過ぎてから、つまり80年代からこっちは、インターナショナル勢の没落をひたすら待ったというところだろう。国政選挙で、国の将来を決めますって選挙で、世界中の人の年金の心配しているような政党が支持されるほど世の中うかれてはいない。


で、自民党は上で民主がやろうとしたことを、取ってしまったとも言えるかなと思う。このアイデアはいけるな、ではどうやって実行に移すかというマーケティング付きで、本来そこにいるべきではない人々を追い出した形で。


しばらくもめるし、もう1回ぐらいの選挙が必要ではあるだろうが、これから初めて本当の国内左右を持てるかもなぁという気はする。左右ってか、自由vs民主、または、自由&フェアvs平等、で、場合場合に応じてバランスを取れるような体制になるといいなぁと思う。


つまりオーニシへの答えとしては、お前が口を挟んで騒ぐからだ、ということもできる。あはは。


しかし、こういう人たちって、書けば書くほど自分たちがとてつもなくクォリティにおいて問題があることがただ理解されていくのだが、まったくくじけないのはなぜなのだろう? なぜって、基本的にその書き物を買ってくれる、つまり職が保証されているからだろうね。そういう意味では、パブリケーション産業の構造改革が出てこない限り、安心して国内対立できる時代も遠いと。