言葉と事象


民主党岡田代表、テレ朝で言論弾圧宣言
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200509041236.html


goriさんが怒っている。

岡田克也 「もしあの戦争が正しかったという日本人が増えているのならね、我々はそれは体を張って戦いますよ。そんな事絶対許さない!絶対間違っている!!」


とテレビ番組で言ったのだそうだ。


私は、なぜ?と思うだけであまり怒ったりしたい気にはなれない。そう、なぜなのだ、なのだ。


あの戦争が正しいと思っている人が世の中に存在したとして、それが何だというのだ?でもあるし、そもそもどんな事件であれ別の当事者は別のことを考える契機を持ち、それをどう語るかは結局のところ個人の知識、知性、発話習慣などに大きく依存し、個人の歴史や知識、知性、判断力の集成がそれを決する。他人が、あなたの考えは間違いだと言ったところで相手の頭の中を変えるわけにはいかない。


だから、他人に対してある個人ができえることは、事実の修正を求めることとか、いくらなでも違うだろうと思ったら、こうではないのか、と別の意見を提示するぐらいのことしかない。政府が言論を統制できるようなことを言う人がいるが、それは公の場でのルールを仮に施設して、妥協を求め合っているだけであって、そんなことはできはしないと思う。あ、言ったら罰金、発表したら命はないぞとして、強制的に表に出てこないようにすることはできるわけだが、それだって時間制限ありだと思う。ソ連崩壊を思い出せば、人ってそんなに簡単に政府の言うことだけを信じてそのまま生きるってものでもないのだよなとただそれがよくわかる。


で、ある言論が、しかしながら、これはまずいだろうと判断される場合もあるだろう。それは、その言論が、事象A、Bを惹起しているという因果がはっきりしている場合じゃないの?


つまり、こう考えるからこういう行動に出る。この行動が著しく許諾できない結果を引き起こしている。だからそう考えるのは止めたほうがいい(これでも考えの強制排除はできないと思うが)、と。


「目には目を」を文字通りに受け取っていたら、私法を許すことになるのでそれはこの社会にとっては不適切です、ですから、「目には目を」を個人の原則にしてもらうわけにはいきません、という場合、この「目には目を」は、この社会にとって許諾できない考え方となる。


しかしこの場合でも、「目には目を」という考えがいけないのではなくて、それを行為に繋げた場合にとがめだてを受ける、ということだ。


でもって、しばしば人々の行動と言語とは矛盾する。大東亜戦争万歳と言っているおじさんが、チャイニーズの身元引受人になって結構骨身を削っていたケースを私は知っているが、おじさんが矛盾に苦しんでいるようには見えなかった。それはそれですよ、という感じ。


で、岡田氏は、一体何と戦う気なんだろう? 日本人の脳みそと戦うのか?

司会の田原総一郎氏が「最近は『大東亜戦争は正しい戦争だった』という世論が増えてきている」と分析を披露すると、民主党岡田克也代表が凄い剣幕で捲くし立てた


これによって、どういう行動が惹起されているのか、それが因果関係が推論によって正しく論理的に、説得的に提示されているのであれば、岡田氏の言うことも、なるほどと思える契機は誰にでも(とはいわないが)あるだろう。


たとえばなんだろう? なんだかわからないがあるとして 仮にそうなら、それががどうして悪いのか、回避するべき事態なのかを彼は立論しないとならない。ある言論をとめようとするのって、結構大変だ。


goriさんによれば、街頭演説のうちの少なくとも1つのシーンはこのようなものであるらしい。

しかしまぁ岡田代表の街頭演説のダイジェストとか見ると「このままじゃ日本がぶっ壊れる」「もう時間が無いんです!」「日本はもうダメです」とか殆ど脅迫ばっかりだな。散々恐怖心を煽るだけ煽って「だから民主党に一度やらせていただきたい」ってスゲエよ。新興宗教とか薬事法違反の健康食品販売みたいなノリだな。


大東亜戦争は正しい戦争だったという世論が増えている」からもたらされる何事かも不明だが、「日本がぶっ壊れる」「時間がない」はもっとよくわからない。ま、経済対策の失敗で国家運営に支障を来たす可能性はあるけど。

 
とことんわからない人だ。


というわけで、なぜそうなのか、なんでこういう考え方をし、かつ、それに対して疑義を持たず、当然正しいという態度で迎える人が政党の党首なのか、と、疑問は尽きない。ただ、現実として、こういう論法の人々は世界中にいることはいる。でもって、ここ数年の傾向はむしろこれら言論封鎖系、「正しい言論」をまず人々に言わせる、みたいなことに熱心な人々が脱落していっていることではないのか、など思ったりはする。


で、日本ってマジョリティが教育されたサラリーマンだから、こういう「あおり」では動かないと思う。あおりで動かない人々だというわけでは決してないと思うが、これじゃない。


でので、世界的にも、そういうことなのかななど思ってみたりもする。つまり、自分で読み書き算盤だけじゃなくて、自分の人生はたとえば金銭的にはきわめて大変でっせだとしても、ともあれ自分でマネージしまっせという人々が増加した結果、ある種のあおりや雑なグループ化で人々が動かなくなった、と。


いずれにしても民主党の選対、どうなってんの?