矛盾の総本家


おとといのところで引用させてもらった大石氏のところで、川崎(ですか?)での演説会(とは書かれていないようですが多分そうでしょう)の様子をアップされていた。ライブの感想を読ませてもらってとてもうれしい。各地の様子があったら教えてくださいませ<all。


 それ(自民氏の主張;soreda)自体、ちょっとナンセンス感は拭えないわけですよ。(中略:soreda)…とかその瞬間は思うんだけど、もう都市型政党、小さい政府を目指す姿勢がはっきりしている。それに対して、民主のひだかさんが、いや、小さい政府は、そもそもうちが言い出したことだと反論する。ひだかさんも、これで三回目ですか、まるでプロのキャスターみたいな手練れなお喋りでそつがない。
 ただ、たいして予備知識も無く、あの会場に誰かが行ったとしたら、やまぎわさんは自民で、しかも若いけれど、言っていることは共感できるなと思えたはずです。

こ、これでは勝てない!
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2005/08/post_1afa.html


民主党が小さな政府を言い出したというのは実際そういう時期もあって、部分的にはそういう政策もあるようにも思う(ものすごいコストカッターだと海の向こうで認められるほど)。が、そういうことじゃなくて、抜本的なところで、年金を税金での福祉政策にする気か否かでまず「小さな政府」は矛盾してくるし、今回支出の話に自らターゲットを絞っている点で既に小さい方への改革志向は疑われている。もとより郵政に反対した意味も説得的に流布されているとは言いがたい。


個別の議員がこれまでの実績や理念、信念で言えば言うほど、矛盾の総本家になっていく。これでは個別の議員さんたちは自分の政治生命というか、ライフスタイルを考えて自分の所属すべきところを考えないとこの先は大変だと思う。党内もぐじゃぐじゃだが、投票する人の望んでるものもぐじゃぐじゃだ。


でもまぁ、冷静に考えれば、中身がどうであれ絶対に自民党にだけは投票しないと決めてかかってる一世代の数が大量だというのが、最終的には民主をしばらくは支えることになるだろう。


このいわゆる団塊の世代が塊をやめる時、つまり現実を見て自分の判断として、俺はこの考えから政党Aに、俺はこっちを理想とするから政党Bにと投票行動を移せるようになった時こそ日本にとっては大変革となるだろう。(どうしてそういうことができない大人がこんなにいるんだ)


もちろんそれは、今の自民(将来のPC)にとって幸いなのか今の民主(将来の自民:soreda比較)にとって幸いなのかはわからんが。


でもまぁあらゆる政治事象のうちで最も起こりにくいもののひとつとさえいいたいほどに塊は塊が好きなのでそれは確かに難しそうだが、なくはないし、中心世代は確実に動く。



そうそう、この世代の特徴のひとつではないかとかねがね思っていることをひとつ。
自分がAを選ぶのは、Aが正しいからだ、という思考法。
俺がAを選んでいるという究極の理由を俺の判断にせずに、何者かによって裏付けられた正だを頼りにする。

これが良い面に出た場合には、物事を好き嫌いだけで判断しないということにも繋がるが、世の中には、どちらも正しい、または、どちらにも支持者がいるという場合もある。利害は常に対立するのだからむしろ後者の方が普通だ。この時、この正邪介在法(私の銘銘だが)は、とても不便な上に不幸をもたらす。正邪論争をしかけて、相手を邪にしてしまう誘惑にかられる。これで物事が解決することは普通ない。ただの恨みの連続線を作るだけだ。