敵は米英だった

さてさて8月15日。終戦したのは9月なんだからとは思うものの、この日が一応の分かれ目になったという意味ではとりあえず終戦または敗戦の日として認識するのもそう間違いではないだろうと私は思う。ま、相手方がこの日にV-Jをいうからそう思い込んでいるという側面もある。だから、そこから考えれば、本当に終結した時点を選んで祝うべきなのかなとも思う。そうなればそれは戦闘の集結のことでもあり、引き上げの完了のことでもある。終戦時の武装解除のタイミングおよび手順によって、なくてもいいはずの二時損壊とでもいいたくなるようなトラブルが起きていたことを思うと、戦争というのはそこまで考え得てはじめてやってもいいもの、遂行できるものなのだろうなと思う。


ただ、そこで覚えておかなければならないのは、それが戦争であるからには、どこにも「きれいごと」などないということでもある。ソ連やチャイナの行動を知れば、戦争などもっての他と、戦闘そのものではない意味でそう思う。自軍の汚さを忘れるつもりはないが、他軍のそれも別に忘れなくてもいい。

おまけに、有史以来見たこともないような事後裁判が待ち受けているとは、開始時には誰も思いもよらなかっただろう。私としては当時の政治家やら軍の高官たちを想像していなかったとして責めるのは無理があるように思う。突入時点とは異なるルールが最後にできていたことに気付くタイミングはあったんだろうか? さらにいえば、もはや恩赦の時期ではないのかという年月がたった60年後にさらに大きな騒ぎになることも、開始時には想像できなかっただろうとも思う。だから、ここから引き返して、ばかな戦争をしたものだと言うはやさしいが、随分と無茶なことを言っているように思う。もちろんそれを含めて私たちはよくよくアホだと言いたい気持ちは十二分にあるが。



想像していなかったことはもう一つある。それは、日本が主体的に戦ったのは米英であり、それ以外ではないのがいうところの太平洋戦争であり、成り行きではWWIIの一部であるのにもかかわらず、それがいつの間にかどこかに置き去りに去れ、日本の行為はすべからくアジアを侵略するためのものと解釈されていることだ。しかも単独で。


これは8月12日付けのその当時日本にとっての「敵」であったところのUKのBBCの記事だが、この記事などはまさにその線で事を理解しようとしている代表だろう。


Japan's problem over the past
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/4145356.stm

Japan's imperial army, which annexed Korea as a colony in 1910, later seized control of large parts of China and South East Asia as the war dragged on.

Its methods were often brutal. Following the 1937 capture of the Chinese city of Nanjing, Japanese troops killed up to 300,000 civilians and raped tens of thousands of Chinese women, historians estimate.


と、唐突に帝国日本軍が朝鮮を併合したところから話がはじまり、チャイナの一部を占拠して、戦線が拡大するにつれて東南アジアへもいった、と。動き自体に誤りはないものの、全体として、自分たちも部分的にはそのチャイナなる場で日本軍と共に行動していたことはすっかり忘却の彼方らしいし、戦局が拡大してからははっきりと自分が日本の「敵」であったことに言及してもいない。シンガポールを取られてイギリス軍がどれだけ困惑したのか、なんて話はまったく気にされていない。(多分、日本がアジアへの野心を示したのだ、といいたくなるのは、自分がその後の独立運動によって結果的に大損こいた側だから、と考えてみても理由のないことではないだろう。よくそんな簡単なことするなぁと感心するが、こうでもなけりゃ帝国ははれないということかもしれない。アメリカ帝国はまだまだだとイギリス人がさかんに言うのはこのへんか。あはは)


(ついこの春に報道されていた、チャイナの教科書の一部だかなんだかが日本を負かしたのはチャイナだ、という理解もこのお友達だろう。意外な感じはぬぐえないが、支那大陸での活動フォースを抜きにして話そうとすればそう落ち着いてしまう可能性は確かにあるのだろう。それにしてもなんだが。)


ともあれ、こういう視点を取っていたら、なぜイギリス人がいまだに日本軍(もしくは日本人)をおちょくったり、激しい憎悪を持ってみたりするのかが全然意味不明になってしまうのではないかとも言える。そこで、おそらくその代わりに用意されているのは、ファシストの国と戦ったから、というストーリーだろうかと思う。一部ではあたかも最初から最後までそうだったかのような話で落ち着いている風さえある。それじゃ国府軍の指揮がドイツ人の訳はなんだったんだ。


でもって、少なからぬカナダ人などは本国のイギリス人たちに先んじてすっかりこのストーリーを信じてる風でもある。こっちはこっちで、ファシストも何も、イギリス軍と行動を共にしない選択などあったのかと問うてみたい気はするわけだし、それ以上に、1939年にアメリカに先んじてイギリス軍と共に欧州戦線で戦っているカナダが、太平洋はパスですと言えたのかどうかなどとも言いたいものはあるし、もしカナダはカナダだというのなら、あんたにアジアが、あるいは西太平洋がどういう関係が・・・と言いたいものもあるが、このあたりについて考えているカナダ人というのを私は見たことがない(ついでにいえば、ファシストを叩きに行ってソ連におみやげを渡したという矛盾に気付く人は今日非常な少数派かもしれない)。オーストラリア人も同様。大英帝国と命運を共にすると言いながら、都合のいい時には、なぜ日本軍がここまで来るの、と言われても困る。


なんとなく参考に。ほとんど世界中、敵でんがな、でしたね。
大東亜戦争における各国との国交断絶日および宣戦布告日一覧
http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/sensenfukoku_hyo.htm



サンフランシスコの港の中に、小さめの戦争博物館なるものがあって、そこには、パンパニート号という太平洋で大日本帝国と戦ったという潜水艦が展示されている。中にも入れる。私も入った。ものすごい狭い空間を想像していたのだが想像よりは大きくて、ちゃんと歩けて、若干閉所恐怖症気味の私が叫び出さないですむぐらいだったことは結構意外だった。で、その中の小さな機関室っぽい(多分違うな、なんだかよくわからない)部屋には、当時の新聞が展示されていた。それは8月15日の新聞らしいのだがてガラス越しなので日付けまでは確認できなかったが、黄ばんだ紙に大きな活字でJapanとSurrenderの文字が踊っていたことははっきり見てとれた。(確か、Japan Unconditional Surrenderだったような。後でデジカメ撮影の写真を確認してアップするつもり)


こういう展示をしていることについて、今さら何を、しつこいと怒っている在米の日本人の人もいた。一緒に住む人にとってみればいつまでも敵なのかとの思いは辛いものでもあるだろう。また、911以降の世界観の中では、アメリカの戦争が正しいみたいな展示をいつまでもやってるという意味にも思えるわけで、その点からも、結果的にいえば私の知るありとあらゆる日本人にはここは不評だった。


私もそう気持ちのいいもののはずはなかった。しかし、アメリカが、日本と戦ったことを忘れないでくれることは、私にはこの頃とても心強いことのように思えてきた。ここが陥没したら、帝国日本軍の敵はひたすらアジアでしかもそれは専売特許よろしく日本だけだった、などという珍妙なストーリーが完成してしまうから。


googleしたが探せないので記憶で書くが、いつだったかこれと同じことを橋本龍太郎総理が語ったことがあったように記憶する。私たちが戦ったのは英米でアジアではないですよ、とかなんとか。そうして結果は、それはアジアの国々を愚弄している、戦場にされた国々を無視しているといって非常な非難を浴びたのだったとも記憶する。私もその時それは確かにそうだなとも思った。でも、主旨自体に間違いはないだろうに、ではあった。つまり、そこが戦場なら敵はいるのだし、その敵は一義的にはアジアの人々ではなかった。結果的に辛酸を舐めさせたことは反省すべきだが、だからといってそれを言ってはいけないというのは、今考えてみれば、上記の仕組みを浸透させるための行為だったのだろうかなど思えなくもない。そうして珍妙なことが起こる。たとえば、日本軍をたたくあまりに、フィリピン人は一義的にアメリカ軍に従属するものと思ってるとしか思えない論旨になってしまったり、インドネシア人は一義的にオランダでいいんだ、になってる論旨を見ることになるわけだが、これでいいのか、だ。


こうなるのも、敵が誰だかを特定していないからだ。敵は鬼畜米英だったのだ。


といって、私は別にあの戦争はアジアの解放戦争だったなどと言い出すつもりはない。よしんばそう言う人が日本人以外にあったとしても、その気持ちは何よりもうれしいものだと思ってもそれに与しようとは思わない。しかし他の日本人にもそうせよとも思わない。ただし、当時の敵を見落としているような人には今後も苦情を申し述べることはあるだろう。それは善悪でも、個人の問題でもなく、明らかに間違っているからだ。


また、戦争が終わったからには彼も私たちももう敵ではない。(とはいえ、おそらく日本人の側が、あたかも敵不在のアジア侵略話に乗ってしまうのは、終わったとはいえ、アメリカやイギリスに対して、敵はお前だなどといいたくもなかったからなのじゃないのだろうか。恐かっただろうし今もそうなのだろう。そして、どうしても戦争から好意的な側面を引き出せないという縛りを強力にかけている。しかし、物事なんでもメリット、デメリットがあるわけで、戦争に至るまでの交渉やその断絶、さらには終戦の処理などを通して外交的なスキルを揃えていくとういうのは少なくとも1945年までの常識ではあっただろうし、日本にはここで断絶があるとしても、その他のいわゆる列強に断絶がない以上外交とはその上を走るものだろう。そこで一人でいじけてみても始まらない。ポジティブに使ってこそ人のためになるというものかもしれない。)


ただ、そうはいっても、いやしかしでまったく煮え切らないのだが、鬼畜米英と戦って何をしようとしたのだ、どこでやめるつもりだったのだ、それが見えないじゃないかと言いたいことは山ほどある。しかし、同時に、いったいどこで引き返せたんだろうかとそれも相当に難しいような気はするのも本当だ。「欧州情勢奇々怪々」のところへんで考えると、すでにその時点で遅いような気もするし、そもそも私は今日にいたるまで、何度考えてもどうしてあの戦争がああいう組み合わせになったのかよくわからない。そうして自分の頭の悪さを棚にあげていうが、何か決定的な見落としをしたままに構図を組んでいるからこうなるのではないのかとこの頃は思いつつある。だからといって、何も取りかえせないのだが、知りたいことはとことん知って、そうして発言してから死にたい。もし私が人としてあの戦争で亡くなった人々ー特に国籍にこだわるつもりもないーに対してできることがあるとしたら、泣いたり、知りもせずに詫びたりすることではなく、そういうことじゃないのかとも思っている。ただこれは自分に対しての過大評価だわ、とかも思うから、せいぜいできることを考えて、たとえば新しい知見を持った人を応援したり紹介したりに努める、といった点を念頭に今年もいっぱい読むわ、など言ってみたいと思う(まるで新年の挨拶のようだが)。