構造改革 その2


イジメじゃない、これは戦争なんだ
http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2005/08/12_051255.html


久しぶりの隊長のエントリー。
ポスト解散以降、造反議員たちがいろいろ言う。それはわかる。でもってなんていうかを人々は期待していたわけだ。が、しかし、出てくるものはなんだかこう、「ぐずってる」以上のものじゃない。隊長のページに発言集まとまってます。

・「日本の歴史の中でもこんな事態あったのかな? 安政の大獄か? こんなに思い上がった強権政治が長く続くわけないですよ」(自民党亀井静香 元政調会長


で、それで? としか答えられないでしょう。こんな事態があることを後世ががなんと評価しようが、俺にとってこれは造反する意味が確かにあるんだと思ったから造反したんでしょ? それを今さら・・・。

思い上がった政権は続かない、っていうのも、局外の中立の人が談ずるなら理解するけど、当事者の台詞じゃない。当事者は、判断されるために立っているのだから。なんなんだこの人は、戦い方の基本も知らないのか、と私は思ったのだが、隊長にとってもそのようだったようだ。


ってか、全国の勤労者の皆様にとっては、当たり前の感覚のような気がする。覚悟もなく上司またはチーム内で叛旗を翻したら、やっぱり相応の責任を取ることになる。ってか、普通は首でしょうかね。自営業者ならなおさら。どちらが正しいかといえば君は正しいだろうが、しかし私も別に法を犯してはいない。ではさよなら、健闘を祈る、と。


こっちはもっとすごい。

・「公認をくれない執行部が悪いんで、別に私は悪くない」 (自民党野田聖子 元郵政相)

善悪というのを、もし、個人の資質か何かにつけているのなら、別に野田さんは悪い人というわけではないだろうし、叛旗を翻すことも悪いわけではない。が、一つの組織にいる限り・・・(以下略)。小学生にでも聞いてほしい。ってか、そういう風に仕込まれてないんだろうなぁ。信じられない話だがそういう人に議員をやらせているという事態そのものが、十分に「構造改革」必要マターだろう。


関係ないといえば関係ないけど、私は小学生の頃音楽関係のクラブに入っていて、全国大会を目指して毎日元気に、今考えてみればものすごく忙しい思いで練習に励んでいた。で、結果的には都道府県大会で2位になって負けた。多分、あの日が私の人生ではじめて、本当の悔し泣きをした日なんじゃないかと思う。兄弟喧嘩とかじゃなくて。


バスでの帰り道、一緒についてきたお母さんたちの一人が、これはとても残念なことだったけど、みんなが頑張ったことはみんなが一番わかってるでしょ、それが大事なことなんですよ、そして私は、みなさんの演奏が一番好きでした、と挨拶してくれて、それを聞いてまたまたみんなして泣いた。でも、小学生ながらに、それはとてもうれしいし価値のあるコメントだと(そんな言葉は思い付かないが)思いつつも、でも、結果を前にしたからには、自分たちにできることはまた練習だ、としか思っていなかったように思う。実際、明日っからまた練習したんだし。


で、ここで誰かが「バスの使い方に過度にこだわるのは正しい審査ではない」なんていってみたとしても、子供たちはそれに飛び乗ったりはしなかったのじゃないかと思う。まずカッコ悪いと。で、そういう傾向がジャッジにあるならなんで先に言わないだ、とか思ったのじゃないのかな。実際付近の高校の先生などを呼んでコンクール対策をしてきたんだし。


で、

有権者の目がマイナーな話に向くことは日本の将来にとって不幸だ」((民主党岡田克也 代表) )


こういうのは、ルールある社会で育って来た人たちにとって、心から受け入れることがちょっと難しい何かじゃないのかと思う。岡田代表だって、赤本で傾向と対策を練って受験したんだろうに、なんでこうなんだろう? 

相手をジャッジする人間だと思ってないからか? という気もする。つまり、勝負所まではいろいろ策はあるにせよ、ここが勝負だ、に入ったら、どうあれ私はまな板の上の鯉なのだという発想がないのだろう。俺が指導してる、つもりと。


ここから考えると隊長のタイトルは大きすぎるほど。


「もっと大事なことがある」(民主党 スローガン)


これは自分たちに向かって言ってるものと理解した。集団で切磋琢磨しつつ生きるための基本ルールの学習の話、と。


集団のスポーツなんかを子供の頃にやらせるのはとてもいいことだと思うんだな。負けることになれざるを得ないし、その時、それでも自分はやるのか、それとも投げるのかの訓練になるし、誰かのミスで負けた時なんかは、もうこれってそのまんま人生修行でしょう。話がゆらりゆらりだが、イギリス人がやたらにチーム競技好きなのと、ポーランド人がとてつもなく個人競技好きらしいのは、議会制民主主義を語る上でのある種のエピソードを構成しているのではないかと前々から思っている。ポーランド人の評判は、10人いたら10の党ができる、ってところだったらしい(この10年ぐらいはよくわからんが、今の中年の人を見てると私の体験からは、嘘じゃないよなと思う)。