反動と(甘えの)構造改革

郵政法案、きょう午後に採決=小泉首相、解散の段取り固める−ぎりぎりの攻防
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050808-00000015-jij-pol

政局は極めて緊迫した局面を迎えた。


政局ってなんだろう。政治的局面ってこと?
なんでもいいんだが、緊迫しててそれで新聞休刊日って何よ、ではある。

郵政民営化で解散騒ぎになるとは衆議院での議決を見たあたりでは考えていなかったのだが、ここまで自民党内が割れているのなら、そして議案となっている郵政民営化に対しての賛否がそこまで(もしかしたら死人が出たほどに)割れているのなら、解散して民意を問うしか道はないだろう。そして私は、政局ではなく、時局を鑑み、今回は迷いもなく、比例は自民党に投票する。


ぶん殴られるのと、ぬかるみに足を取られるのとどっちがいいのか、みたいな選択だなぁとか思う。取り合いになるのと、吸い付かれるのと、とかそういう感じ。


で、この何日か新聞がごしょごしょ出してた観測気球風の記事では民主党が有利みたいな感じだったように思うが、これって、ケリーの二の舞いなのじゃないのかな? 新聞ってそのあのそので、新聞の主意で記事をひっぱって、それでこれまでかなり影響力を持てたわけだけど、ここにきてそれは効かなくなっているのじゃないのだろうか? 


時局の焦点が何なのかわかってる人はそう少なくないように思うがどうだろうか。でもって、この焦点に対しては、郵政は特に地方の人にとってクロスになっている確率は高いわけで、それが故に、郵政の問題の本質を離れて、地方の郵便局がどうしたという郵政事業の話にバリューを置いた「つり」があったのだろう。仕組みの話はもとより難しいのだし。



こういう調査を私はほとんど信用していないのだが、とりあえずネタにすると、
「『郵政民営化法案は、今月8日に参議院本会議で採決される見通しですが、あなたは郵政民営化法案に賛成ですか。』 で、YESに53.0%、NOに35.6%。

どこに投票しますか、で、

自民党  28.4%(↑)
民主党  21.6%(↓)
公明党  4.6%(↓)
共産党  3.0%(↓)
まだきめていない  39.8%
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/2001/chousa/chousa.html


それなりに、国民は結構腹を括っているといったものではないかと思う。でもって、バカな小泉信者が多いから云々みたいな言辞をよく見るのだが、使えるものは小泉でも使う、と思っている人もかなり多いのではないかなど思う。私もその一人だ。


1.5年ぐらい前の私は、とにかく政権を交代させたいと思っていた。交代が普通に折り込まれる政治が望ましいんだとかたく信じていたし今でもそれは変わらない。しかし、その選択肢には、日本国の国の枠を否定する人々、またはそれに繋がる動きを積極的に擁護する人々は含まれてはいない。
(枠を否定しつつ郵便行政はこのままで、って人々は頭の中がおかしいか、それぞれに思惑があるだけ、ということなんだろうが。)


なんとなく、今って、アメリカの1949年ぐらいなのかしらなど思ってみたりもする。

フーバーが終わってから、20年あまり続いた民主党政権が終わり、つまり戦争の時代を終わり、1952年にアイゼンハワーが当選する。その時エンジンになったのはいわゆる保守に分類される人々で、日本で読む本ではこれをもれなく保守反動みたいに表現していたかと思う。


確かに、反動は反動だっただろうが、ではなぜそうなったのか、あるいは何に反動していたのか。様々な表現の形式はあるものの、それはつまり、気付かずに動かされることへの反動だったのじゃないのか。[いくらか具体的にいえば東部リベラルへの反発。]



となると、表面的には日本では長らく続いた自民党に反動しないとならないように見える。が、多分本質はそれではないのだろう。思考を縛るものへの反動こそがここにある反動じゃないのか。


と、このあたりのアメリカのいきさつはこの本がかなりいけてる。The Economistアメリカ当番の記者たちが書いた本。ネイティブの人にはとても軽く読める代物のようだが、選挙ものというのは人の気分とか印象を含めた流れがわからないと読めないので私にはかなり大変だった。でも熱中したし今も地味にしてる。


The Right Nation
The Right Nation: Conservative Power in America


帯についてる、ここ数年で最高の政治の本という惹句も嘘ではないようで実際評判がいいようだから、そろそろ翻訳本とか出るのかな?とか思ったのだけど、とりあえずgoogleした限りでは全然動きないみたい。なぜ?


私の感想としては、アメリカ人やイギリス人等々にとっての面白さもさることながら、日本人にとっては面白さ以上に有益なのじゃないかと思った。つまり、これを素直に読んだ場合、私たちが戦後教わったアメリカ政治史というのが、実際にはリベラルから見たそれであって、それは別にアメリカで一般的だってものでもないことがよくわかると思うのだ。でもって、去年ケリーの一件で、日本のメディアならびに知識人の皆様は、これがビジネスなら全員首だなというほどのみじめな読み筋の悪さを披露したわけだけど、そうなる一つの理由は利用可能な土台、読み筋が、1つしかなかったからなのだろうな、と帰結できるんじゃないかと思う。


あ、前にもこの本について言及しているはずですがそれは読んでないで書評から書いてしまったので、今となってはだめだめでした。