カナダ総督:ロールモデルとその影響


G-G: Must like travel, photo ops
http://www.canada.com/national/nationalpost/news/story.html?id=200e18b4-b08a-49c3-93d8-082d03938701


カナダの次の総督は、ハイチ出身の48(47かも)歳のジャーナリストの女性となる見込みとなった。ケベックの人でもある。


総督とは、カナダの形式上の君主たるイギリスの王様(女王様)の名代で、カナダの首相が指名してイギリスの王様が任命する。上位下達的価値観だと総督は、上に属し下に命じるとも読めるが、イギリスの議会の歴史を考えればわかる通り、そうではなくて王様に向かうカナダ議会、すなわちカナダ人の代表という位置。一方、カナダは実質的にカナダの政治がイギリスの王様に左右されることはない、とっくの昔にautonomy(自治)から独立へと格上げされている。従って、総督の存在は、限りなく儀式的、あるいは稼働性を確保した象徴、看板か。


ただ、現在のクラークソンさんのやり方を見ていると、イギリスの王様に向かってのカナダの代表という位置よりも、カナダの代表者として世界中にでかけていく方に役割が移行しているかも、とも見えた。上の意味では自ら進んで看板の役割を担う、大使の役割でボリュームアップのような感じ。で、こういう具合に外に向かって活動しだすとお金もかかるわけで、えらく豪奢でえらくお金のかかる旅をしているとして、あるいはそこでキックバックなんか発生してないだろうなと、今年の初め頃にはかなり批判されていた(なんせ批判になった行き先がロシアあたりだったこともあり(笑))。

現状としては、一方で、カナダの代表なんだから貧乏くさいことをしないでどんどんやれ、という人もいるが、他方で上院とかこういう総督とかの、選挙で選ばれてない人にお金をかけるな、いらない、という人も根強く存在し、拮抗しているがために安定しているといった具合にも表現できるだろう。


と、昨日の時点で私はこのニュースを全然知らなかった。昨日はかなり多くの人にあったしダウンタウンにいたのに、なんでよ、と今朝Postを読んで、へぇと思った。(昨日の分にコメントで教えてくださった方、ありがとうございました)


で、見た瞬間、ああ、そういう手があったのか、なんても思った。


昨日の夜最後に会った友達と、島の人たちは、どっかでオレたちここの人なんだって気がつくきっかけが必要なんだよね、やっぱりみたいなことを結論していたから。これは契機だよな、と思った。


なんかあると、どんな事件でも、俺たちは400年の間、ブリテンやらフランス、スペイン、ポルトガルetc.の支配を受け云々、ヤツラに盗まれた云々、ヤツラはこうでああでという批判を最後に付けはじめるというのは、やっぱこう、どっかで打ち止めにしないと本人たちが苦しくなるばかりじゃないのよ、と思っていたのだ。いつまでも、「they」(この場合ヤツラ)という語を同じ国の中でやるのはどうかと思うよね、人種というのにフォーカスを当てていいところと悪いところの区別がないのが痛い人が多すぎる云々、などというのが私と友人のこうした中米というか、カリブ海の出身の人々への考えだった。


結局同じ国の、まぎれもなくあんたもカナダ人なんだよ、と言いのける自信の問題だし、そうやっている成功モデルが少ないということなんじゃないのか。お金を儲ける、成功するというだけじゃなくてもっとアイデンティティをハンドルできるだけのルートをここ(カナダ)に持てるようなきっかけなりが必要なんだろう、などとも言った。しかし、オレたちはオレたちはというわけりにはオレたちがオレたちのためを思って厳しいことを言う、というケースもあまり聞かないしなぁ、いやいるよ、そういう人、コミュニティー・リーダーとか結構そうじゃん? ああ、そういえばあの人、この人・・・、でもそれが個々の島出身者に届かないのが問題なのか、それもあるし、アメリカの電波の中にいるから、いつの間にか、アメリカ内でのブラックの問題の歴史の中に自分をすっぽりあてはめる傾向もあるよね、これってちょっとまずくない? だって事情は違うのよ、でもメディアの前でそんな個別の事情を理解できるような人ばっかりはいないのよ云々、と途中で水を買い足してまで話した。
人によるだろうが、私のまわりには結構カリビアンとお友達という人が多いし、私も親しい友達のコモンローパートナーがそうだったりするし、知り合いが多い。


そういうわけで、私としては、なんてスマートなロール・モデルの提示でしょう、だなぁ。そのうえ、女性でケベックの人、と、分離しがち、疎外から反発に流れる人々の前にもれなく現れ得る人じゃんか! だ。成功したしっかりしたジャーナリストだとの評もあるようだし、きれいな人だし。


と、こういう視点は、私たちが突如言い出したわけではなくて、結構言われている、あるいは理解されていることではないかとは思う。

個人的には、何か月か前に、現在のクラークソン総督はチャイニーズの移民なんだが、どうしてそういう彼女が総督なの?と、香港出身の人が疑問を投げかけたことをきっかけに、そこにいた友達たちがあれこれ話して、結局、要するに、カナダのために働くカナディアンとしてのロール・モデルの提示でしょ、で、クラークソンの場合はこれからチャイニーズの移民が増えるんだという時代だったからチャイニーズの移民だった。こうやってカナダのために働くって名誉なことなんだよ、と。ああ、そうね、カナダ版のアメリカン・ドリームってことかしらね、でも、夢ないよね(笑)とこの香港ガールは言った。


で、ということは、次も移民なんだろうね、多分、となった。じゃあどこ? 東欧は無理があろうともビルトインだし、チャイナはもういいでしょ、インドはコモンウェルスの大国なんだから意味ない、あと多いのは、どこ? ポルトガル?(でも欧州だからないでしょう)、南米のどこかかカリブか?なんてことを話していた。私は、アフリカじゃない?と言った。


今となってみれば、そういうことだったわけだが、その時には、でもいくらなんでもカリビアンはないのではないのか、リベラルが弱体化している今、コンサーバティブの支持層はこういうの嫌いじゃない? それに第一コンサーバティブが政権取ったら、その人やりずらくない? その人がマーチンを首にするんだよね、あはは、みたいな感じで混迷していた。でも、冷静に考えて、こういう位置に、白人の男が来ることはないよな、多分、というのは合意。もちろんその意味は、その方がハンドルしやすいから、で、大笑いだし、本当は心に大きなざらつきを抱えていただろう白人の男たちも、そ、政治ってそんなもんだから、に異論の出ようはずもなかった。


なんにせよ、ここの人たちってほんとーに、ナショナリズムをハンドルするのが上手だ。これを梃子に人々をまとめる。これは2年前に、「Canada Cool」とかEconomistに書かれていた地点から同じ趣旨が走ってるということなんだろう。つまり、いろんな人が暮らせるカナダです、というカナダのシステム強化の一環と。


今のところ特に批判、反対の声は聞こえてこないが、多分あるとしたら、またジャーナリストか、またメディア関係者かという点だろうか。しかし、メディアは基本的にこのシステム強化の主要な稼働者だから、それは仕方ないのじゃないのかという気が私はする。


でもって、何事によらず当然考慮されているこではあるが、隣のアメリカよりも先んじている部分があるのだと表現したいという国民的欲求もバッチリ満たせるのは大きいか。だから、問題はここで過激な反米主義に陥る勢力に燃料を投下しないこと、だとは一応いえるが、このプランは、実質的、内政的には、ネーションというフォームによる人種問題の効率的な解消が意図されているんだから、むしろ心配なのはカナダではなく、カナダの外だろう。カナダを引き合いに出すことによって、対立を鮮明化させることが可能だから・・・。黒人解放を先にやったのはイギリスであり、カナダだった、という話と同じことになるんだろうか? どこまでいってもなんて政治的な国なんだと、私はとてもうれしい。ものすごく。