使いまわしたパースペクティブ


昨日偶然知り合いの人に出くわして、アジア情勢についてはなした。って、立ち話ってか床や談義の前座みたいな感じではあったのでまったくまとまりはない。このおじさんは東アジア、わけても日本での投資に何件か挟まってる、絡みたい、絡んでます、とかという感じで生きているんだろうと思う。よく知らんが、そうだと思う。だから当然興味があってそこそこ詳しい。

が、どうも、あれ、なんかくるってまっせ、みたいに私は思った。詳しくは語らないが、チャイナ、コリアの現在の、なんてーかかんてーかの状況をとても過小に評価しているという点で私は、これってへ?だった。もちろん事態は過小と評価していいのかもしれないのだ。しかし、他者への影響、つまり日本だな、それとか、将来への影響、つまり今現在のチャイニーズにっって、と、それらを総括すると、今の出来事も、例えば、アメリカが焚き付けてるんだろう、だけではすまなくなる。


よしんばそうだとしても、二次的な影響はもはや焚き付けとはなかば関係あり半ば関係なく、関係のない人々が別の影響とブレンドしてしまうこともある。予想はできるが、予想できないことも当然ある。ということは、メタのメタぐらいを考えて多層的に眺めてるのならいいのだが、今現在の影響を持って小さいという評価を与えて満足してしまっているのでは、なんてーか、あんた投資家じゃないよな、とか私は思うのだった。私も違うが。あはは。


ま、このごろ近場の不動産に投資していると聞いたがそのぐらいがあんたに見合っているかもな、ぐらいのことを考えつつ、しかしなんでこの人のパースペクティブにはダイナミズムがないのか、など余計なことを考えながら夜道を歩いた。


思うに、チャイナの評価が一定でありかつ曖昧だからなのじゃないのか。チャイナという複合体をとらえるだけのパースペクティブがないし、具体例をあてはめるべき見取りのいい地図もない。個別の事象や地点にどれだけ心当たりがあったとしても。

それはもう少し具体的にいえばどういうことかといえば、まさか、残虐な日本軍にやられた気の毒な国でその後、そういう悪しき帝国主義の毒から人民が立ち上がり共産国となった、とは誰も思ってはいないつもりのようで、実際にはこの板が基盤だ、ということなんじゃないのだろうか。つまり、表面のストーリーを一歩も出ないままに来ているのは、なにもチャイナの中の人々だけでなく、おそらく少数の日本人とアメリカ人と、最後まで拠点を残したイギリス人の一部をのぞくとだいたいそんな感じだ、ということなのじゃないのか。このおじさんは親の代の移民だし出てきた国もこの中にはないから、彼のファミリーヒストリー内のパースペクティブが平板である可能性は高い。


ま、それはともかく、このおじさんにたいして私はこんな話をした。
向こう50年という単位で考えるならチャイナがどれだけ消費可能なマーケットかという点について疑う人はいないのでしょう。でもその前になんか必ずあるよね。それはもう避けられないのじゃないのかと私なんかは思ってるし個別のチャイニーズもそうだろう。どれだけアメリカがどうしたといったとしても。


それは日本人がどう反応するのか、アメリカがどう出てくるのかと関係あるのかもしれないし、まったくそれとは別個の増殖がはじまっていてこれが無時間的にすでに存在しているのかもしれない。


なんといっても、そう、考えてみるまでもなく、チャイナは、革命の国なんだろと思う。それは共産党のことじゃない。自分たちがオーソリティを引っくり返すことは彼らにとってはすでにとっくの昔からオーソライズされていることなんだ、という話かもしれないな、と。別に全体、所属員がきれいにそれに参画するなどといったモデルではなく、極端なことをいえば誰がやったっていい、外人でも異星人でも。でも誰がやってもそれは天の仕事だったと考えるようなセンス・・・。これって多分、私たち(成り行きから日本人)にはない何かだし、ブリトンにもない何かだと、私はそれを時々考えつつ彼らを見ているんだよ。


と、私はそんなことを言った。私には、彼の気配が少し止まったような気がした。そうか、あんた投資してんだな、チャイナに、と思った。しかもそんなことを考えたこともなく。