目先の人道

いささか古い記事だが、


韓国人観光ビザ、免除恒久化へ 関係修復狙い/治安対策カギ
http://www.sankei.co.jp/news/050515/sei031.htm


これ、本当に実施するですかね。

どうしても実施するなら、

法務省入国管理局によると、今年1月現在、韓国人の不法滞在者は約4万3000人で国別では最も多い。約3万9000人は短期滞在ビザで入国後、行方不明になっている。


という状況を韓国内で公知してもらって、その上でそれはいけないことなのだというコンセンサスを確認するための努力とかしてもらってもいいのじゃないのだろうかと思う。ま、不法入国の数がカウントされているだけ、もしかしたらマシだったりして・・・ともいえる状況、つまりもっと酷い状況なのかもな、とか思ったりもする。考えてみればわかるが、基本は、authorityがつかめないから不法滞在なのだ。


前にも書いたけど、アメリカに関してのビザが日本人はフリーパスだが、コリアン、チャイニーズはそうではないという状況が長く続いてる。それってなぜ、って、基本的に帰る人たちかそうでない人たちなのかに大きな差異があるでしょう。1)


でもって、かなりの場合日本におけるビザの問題ってここが見過ごされているのではないのかと思うのだが、問題は、入る、入らないじゃない。治安というのも話が結論に向かってジャンプしすぎだ。問題は、帰らない人たちが不法状況におかれることになるのだ、ということだ。そしてそれはとても大変だ。それは受け入れ国にとってもそうだし、不法入国者にとってもそうだ。


当たり前だが就業の機会が劇的に小さくなるし、当たり前だが、カウントされてないんだから、受けるべき保護も背負うべき義務もくそもない。カウントされてない人間になる、って、ものすごく大変な選択だと思う。でもって、そのものすごく大変な状況を、人生一般の苦労かな何かかと思って、でもって、悪いケースでは、しまいにはそうしたのはその受け入れ国のせいだ、俺たちは差別されている、みたいな心理的トーンを形成していくこともなくはない。しがち。ものすごくしがち。北米は腐るほど例がある。しかし、元をただせばそんな選択をしたことに問題があるんじゃないのかと、誰がどういうこともなくそう考える人は当然ながら多い。すると、さらにこの不法滞在者は追いつめられる。誰もわかってくれない、と。


長い歴史の中ではもう少し「牧歌的」な時代もあるわけで、そうやって密航してやってきてから「たたきあげ」て、がんばって、苦労が実って大物になった、見返してやったみたいな話が好まれた時代もあるし、今でもそういうのを、なんのかんのと好んでる人っているよな、とか思う。これって、ロマン、つまり小説仕立てが過ぎるよ、と私は思う。もちろん、百万の不幸を尻目に、自分だけはなんとかなると考えるその「カケ」みたいなのをしたいという人を私は止めもしないだろう。ただ受け入れもしないし、その人たちに同情しようとも思わないが。


好んでるとかいうと、おそらく逆鱗に触れてものすごく怒られるんだろうが、でも、そうしない選択肢もあったのにそうしたんだから、それを好んだと他人が表現しても、その人が不満に思うのは勝手だが、他人がそう描写するのも勝手だよなと思う。


と、私が常に思うのは、こうやって、フリーパスみたいなのをとても歓迎して、それを果ては人道的だという人の気がしれないということ。そういうのを人道的だというのなら、その話者は、その後の誰かの人生があたら厳しいものとなることを、当然に予想される困難を、背負え、と言っていることになる。ものすごく、他人に対して、責任の取れないことを言っていると私は考える。しかし、それは多分、その話者にとって、自分には満額の滞在資格と心配のない人生を持ったその人にとって、人道的なのだろう。


人道という語を軽々に使う人を私がどちらかといえば憎む具体例の一つはこのへんだ。