オランダとカナダ

Ceremony marks anniversary of Netherlands' liberation

http://www.cbc.ca/storyview/MSN/world/national/2005/05/03/netherlands-canada050503.html


ナチスからオランダを解放しましたよ、から60年ということで、この解放に大きな功のあったカナダはヨーロッパでセレモニーを行っている。


これに限らず今年はWWIIから60年だから、ここからあっちこっちでこんなのがあるんだろう。勇敢に戦ったカナダ軍兵士の活躍に水をさすつもりは全くないが、カナダにとってのWWIIは、自分の国の存亡をかけた戦いというのじゃなくて、助っ人の戦争だから、思い出すのは良いことばかりではあるわけで、メモリアルとはいえ、我が方とは相当に違うことになるだろう。
(いや、そんな風にはきっと誰もいわんのが公式見解というべきか。自由が危機に陥っていたからこそ、自由のために戦った、独裁者から世界を守るために、とか言うのが正しい、と。)


そりゃそうだ負けたんだから、と言いたくなるし概算ではそれはそうなのだが、でもそういうものでもなくて、ヨーロッパから来た人などもこの件については私と同じような感想を持つらしくはある。背景が欠けているからだろうし、勝とうが負けようがぐじゃぐじゃになったその怨念みたいなものと関係がないから、妙にすっきりした感じに何か違和感を持つのだろうと思う。


アメリカもほぼ同じことではあるんだけど、日本との戦争は当事者なので、よくも悪くもカナダに比べたらまだ悲喜こもごも感があるかなと思うことがある。戦争って一方だけでは起こらないから。


それはともかく、オランダとカナダは結構面白い関係があって、オランダは1940年にロンドンに亡命政府を持っていて、だから、と書いていいのか、多分いいんだろうと思うが、オランダの王女さまの一人マーガレットは1943年にカナダの首都オタワで生まれた。この時、オタワのその病院は、一時的にオランダ領を宣言して生まれたその王女はオランダ人ってなことにしたらしい。


ってことは、オランダって当時から出生地主義だったのか? ついでにいえば、王女様といえども国民と同じ法なの?というのも知りたい。「皇統譜」じゃないのか。ないよな、きっと。よくわからんけど、なんせ、その縁で今でもオランダ王室とオランダ国民からオタワに山ほどチューリップの球根が届く。


脈絡ないけど、当時カナダと敵対した日本のその末裔として考えて見ると、英米の英と敵対した途端ほとんど自動的にカナダとオーストラリアも敵になっちゃうって、そんなんありか?みたいな気はする。