遅れを認知できるか否か


90秒遅れ、欧米では「時間通り」 日本では定刻が常識
http://www.asahi.com/international/update/0502/005.html?ref=rss


朝日、バカですか、思いっきり。欧米で常識だったらなんでもOKなのか?


ま、それはそれとして、この記事を書いた人はどういう質問の仕方をし、かつ、それぞれの国の電車の走り方を見たことあるのかな?


遅れ、っていうけど、日本の場合、遅れが簡単に認識されるのは、「定刻目標」、つまり、23、28、32とか書いてある数値に向かって電車が来ると考えるのがスタンダードだから、24分になったら遅れてるな、と、別に悪意がなくても了解される。


それに対して、おそらく多くの国と地域、ってか、少なくとも北米の電車(これ自体少ないわけだが)は、高速の特別仕立ての電車以外は、1時間に何本、みたいな表示があるだけで、何時到着かどうかってのがないことが多いと思うんだが・・・。だから、事実上、東京の地下鉄とか山手線みたいな感じ。1)


あと、定刻目標型の線でも小さい駅なんかだと、到着目標時間そのものがどこにも書いてない(時刻表なんてものにさえ)ってこともあり得たぞ、アメリカ東部。最寄りの大きな駅と駅の間なんだから成り行きで考えろ、みたいな感じ。
私が知ってるのは6年ぐらい前までの話だが、アメリカの東部の電車って何番線に入ってくるのかさえ直前までわからない、特急電車通過待ちが定期にでなく発生する、ってな組み方をしていた。


だから、遅れてるのかどうかは、仕組み上直ちには認識されないのがむしろ基本といってみても間違いでもないような気がする。わかるのは始発と終発ぐらい。マメな人なら、1時間に5本程度って書いてあるのに20分もまったらおかしい、とは考えられるだろうが。だから感覚的に、俺が乗りたい時にだいたい来れば満足、そうでなければ良くない、ぐらいの指標しか取れないと思う。


したがって、そもそも90秒遅れが認識されない仕組みといやでも適宜認識される仕組みを比べてどうするんだ、でもある。いや、その前に、日本だって60秒までは同じ分だから、これがアローアンスだぜ、とだっていえるわけだから、90秒の遅れは実は実際には乗客には30秒の遅れとしか認識されず、であれば、誰も気になってないのじゃないのか?ではなかろうか。


だから、この90秒がどうしたこうしたって、ためにする議論を構成するためにわざとフィーチャーしてないか? だな。JR西日本にとってはそれが積み重なれば大きいから内部でチェックの対象にはなるだろうが、冷静に考えれは「90秒の遅れ」で乗客が怒り出す、苦情を言い出す、という事態はほぼあり得ないと言えるだろう。ためにするネタってやつ。



ついでにいえば、この秒にこだわる列車運行って、多分、猪瀬直樹のミカドの中の「スジ屋」の話あたりから人口に膾炙して神話化してその気になってしまった日本人が大量にいるのではあるまいか? ことに、マスコミ関係者。常にそうだが、世間知らずだから。


現実には、適宜な余裕で、代替輸送機間を勘案しながら動いているのが都市民で、苦情を述べる(この間あったばあさんたちみたいな)人々は、この神話によって、逆に、こうあらねばならないのになってない、と脳内チェックがかかっているのではあるまいかなどとも思える。


さらについでにいえば、上のアメリカの話だが、かなりの確率で、日本の新聞記者の皆様でこれをちゃんと見ていた人っていないと思う。「アメリカは車社会ですからねぇ」とかいって電車に乗る人をバカにしていた人もいたぐらいだし。私は電車好きなので、どこに行ってもしつこく乗るのがデフォだが、この路線に関しては必要があったので通勤並に乗ってて暇だから観察してたが、その限りでは、そういう意味で、よくこれで電車走ってるなとさえいいたくなるような代物だった。でも、NY郊外からの通勤者が増えるにしたがって無視できなくなっていって、相応に整備されていっったのじゃないかったかと思う(その後追ってないからわからないんだが)。つまり、結局、相応に時間に縛り付けた(=誰に対しても公平な、という意味でもある)公共交通機関の運行は必要になるんだよ。


1)サンフランシスコ郊外のバートは定刻目標だった。で、住民情報と少ない体験からは運行は快調だったと思う。ただ乗り継ぎないから結局遅れが回復される必要性も大幅漸減。運行スタイルはいいとして、なんと、切符の自動販売機がない乗降口で、駅員が「12時半までお休み」の札をかけて欠席してるという事態に遭遇した経験はある。レストランじゃないんだから。ま、そのぐらいの感じで走ってる、と。