「負担過酷」


JR尼崎駅、1秒単位で遅れ報告 「負担過酷」指摘も
http://www.asahi.com/national/update/0427/OSK200504260105.html?t1


この事故のあまりの凄まじさに驚きつつ日本を出てきたのだが、しかしこう、でもさ、

ストレスと安全作業の関係に詳しい正田亘・立教大名誉教授(産業・組織心理学)は「事故との因果関係はわからない」としたうえで「相当過酷な負荷になり、組織としては労働者に圧力をかけすぎではないか」と疑問を投げかける。

組織の圧力もあるだろうが、周りの乗客の圧力もものすごいものがあるだろうとは思う。「負担過酷」。


日本で温泉地に行ったのだがそこで偶然、列車のトラブルが発生して振り替え輸送しか手はないということになった時の、付近乗客の苦情ったらもうもう聞いていられないほどだった。なんて偶然なんだと思うんだが、あらためて、このreasonableでないボヤキにも似た抗議をどうにかしないと良くなるものもならないんではないの、と思った。


平日の観光地に向かう電車だけあって、割合でいえば、近似値おばあさんのおばさん7、同おじさん1、その他2が乗客だったんだが、おばあさんたちの口汚さに、おもわず叱り飛ばそうかとか思たほどだった。「なってないよ」だの「管理が甘い」だの「サービスが悪い」はまだよくて、おばあさんの前でいいところを見せたいのかオヤジがみっともなくも「怒声」をあげて駅員さんにくいかかっていた。どうせいっちゅうのよ? それも、駅員さんのミスじゃなくて、根本的には途中区間の落雷が原因だっていってるのにこの始末。なんだこの人ら、だった。


要するに、仕組みというものへの不理解と、今の行動がもたらす事後への徹底した考察不足が根本的な問題点なのだろうが、端的にいって、彼等の行動は子供が不愉快だから泣いてるのとあまり変わらない。文句を言って相手(駅員さん)が小さくなって小さくなって、肝心なことを語るその時間を謝罪に費やしているから事態が進まないのにそれすら気付かずひたすら謝らせていることに意義を見いだしているようだった。全然生産的でない。


その中で、20代前半ぐらいの女性2人が、こういうのも(トラブル)旅だからね、など語り合っていたのがとても印象的だった。


この小さなエピソードとあの大きな脱線事故をつなげようとは思わないが、似た構造にあるのではないのかなどと思う。