「帰る場所」

ようやく通常営業となるか、といったところです。
隊員さん、kamiyaさん、おかえりなさいと言ってもらえてとてもうれしかったです。いや、今回は今にしてみれば特に。


というのは今回は、最後に、カナダのイミグレーション(入国審査)で、普通の不愉快以上に不愉快なことがあったから。だからちょっとあまり機嫌がよくないのだけど、しかしそんなことをしていてもはじまらないので、忘れるというのではなく、感情誘発部分を整理して、これを問題として明らかにしてやろう、くそったれ、など考えながら、自分の立ち位置を前向きに修正中。


いやしかし、母国って強いよなとしみじみ思う。というか、母国というのは普通意識されないことがベストなのだろうと思う。で、対比が出てはじめて知る、というぐらいで丁度いいのじゃないのかな。


永住権持ちのエントリーというのは、スルっと問題なく入国のこともあれば、なんか、もう、もの凄く打ちのめさる感じにさせられることもある。平たくいって、侮辱されている感じがどうしても残る(ことが多い)。なんでお前はここにいて、お前はここで何をしているのだと答えなければならない(それも決して怪しくなく)って、なかなか簡単ではない。まぁだいたい、なんてのは通用しないし、その「だいたい」感は、多くの場合発言者の躊躇といよりも、嘘とか不誠実にみなされるようなことになるし、相手が一回疑い出すとこっちにはとめる手段がないみたいな感じだし、そもそもどうやって払っていいかわからない嫌疑なんだもの。


なんで入って来たのか、何やってるのか、結婚してるのか等などとたびたび尋ねられ、会社員だったりすれば会社の名前(知られていればだが)でおしまいなのかもしれないが私などはフリーの業者でそのうえ結婚していなので、もう怪しさいっぱい(らしい)。で、その対応はだいたい不愉快で、何を疑ってんだか知らないがとにかくあっという間に、自分が何が嫌疑なのかもわからないことで嫌疑をかけられている、それも有無をいわさずという状況に陥れられる。職業もそうだが、結婚してるのか、なんてのはまさに、なんで尋ねるのかと小一時間って感じではあるんだが理屈としては家族がいればそこがその人の住むところ、という、私にいわせれば勝手なコンセンサスが大手を振るっているので(家族移民というカテゴリーさえある)、多分、ああそうか、になるのだろうと想像。


で、いろいろ尋ねるその趣旨が係官の勝手な勘違いでもまったく彼等には問題はなくて、若干意義など挟もうものなら、「疑いがあるかないかを決めるのは俺だ」と私がまだ恐いもの知らずだった時に言われたことがあったが、つまり、くどいが被疑者であるこちらには、何で疑われているのかさえ明らかでないのに疑われている状況がこの状況。でもって、そこで逆らうと、さらにひどい状況になると自分たちで言うからすごい。これってうっかりすると911以降のアメリカが、みたいな話にみなされやすいが、そういうことはなくて、入国審査の仕組みとはどうしてそれでいいのかしらないが、そういうものらしい。普通の状況では信じられないほどの権限をなぜだか彼らは持っている。


観光の人も同様といえば同様だろうと思うんだが、帰りの航空券があることが一応の保証となり、さらには、そういういい方もなんだが観光でこられる方の多くは、イミグレの人の対応を不愉快に感じる余裕というのはあまりないのではないのか?などと思ったりもする。つまり答えるので精いっぱいみたいな感じではないですか? ともあれ、永住権持ちにとっては、ここはつまり、あんたの「帰る場所」ではないのだよと毎度イミグレーションが教えてくれる。だって、「ここで何をしてるんだ」と詮索するんだから。


母国であるところでこうした質問はナンセンス。おそらく尋ねられたら多くの人は怒るのじゃないだろうか。お前の知ったことではない、と。


それに対して、日本のイミグレーションは、私にとっては明らかに「帰る場所」なんだわなぁ〜とそれはこっちが拍子抜けするぐらいにそうだった。今回はまたパスポートをチェックしながら「お久しぶりのご帰国ですね」なんていわれて、それはそれなりに余計なお世話感は若干漂うものの、ええ、どうも、とポジティブに反応してしまうものは確かにあった。


もちろん、中に入ってしまえば、どちらにも相応に心地よさと悪さみたいなものはあるわけだし、結局は友人の多さや自分にとっての適応感が本質的な「帰る場所」を決定するのだとしても、それでもこれら入国審査を実行させ得るところの国家機構が消え去ることは、部分的な地域枠をのぞけば私にはほとんど考えられない。