昨日に引き続き、いやほんとに、つくづくと独自の風習だと言いたいものがある。私の側からは、この風習または習俗に対して、「風変わり」と言いたい印象気分はあるわけだが、マルチカルチャー地帯暮らしの私としては、穏当に、differentだわ、とか、なんとユニークなんでしょう、彼等にとって独特の、等々と表現しようと、自分に対して常より大きな制御をかけている、この二三日。そうでないと、ふとした拍子に、strangeとか言ってしまいそうなんだもの。


BBCの写真の、5枚目。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/in_pictures/4411285.stm


と、私自身はこれを、自分のバックグラウンドにないものだと思って、とても興味深く思ってるんだよ、と今日とあるカトリックの人に言ったら、予想に違わず、「そう?」と言われた。誰かの死を悼む際の私にとっての(といえばそれは対面者にとっては日本人にとってのと受け止められるだろう)マナーの中には、body(死体)を眺める/対面するということは含まれていない;対面することがあるとしても、それはとても親しい人々だけであって、general publicにということはない。

ととりあえず説明したら、でもほら、とてもパブリックな人だからと言われた。これも予想通り。ここで私は、日本で最もパブリックな人であろうと思われる人を思い起こしたわけだが、その人がこのようなマナーのうちに送られるなど、想像だにできないわけで、自分で自分の想像に困惑するほどだというのを確認した。で、一応それについては手短かにこのカトリック中年男子に述べたが、全然ぴんとはきていなかっただろう。そのうちゆっくり話して差異をあきらめる縁(よすが)としたい。抹香くさい言い方だが。


カトリックではない人の中には、メディアだけでなく政府関係までがものすごくこのニュースにコミットしていることが恐いという発言あり。too closeと憤慨するというよりも困惑していた。


この件で一つのハイライトとしてあっちでもこっちでも取り上げられているポーランドについて。ヨーロッパにいるポーランド人たちの中では、ローマを目指している人も少なくない模様。カナダでは、私が知る限りでは特にそこまでではない様子。


法王をポーランドに埋葬したいとう欲求はさすがになくなったらしいが、ポーランドの「土」に眠りたいと法王が言ったとか言わなかったとかいう話があるらしい。墓に入れるってことだろうか。


これを教えてくれた人に、いいじゃんか、世界中のカトリックに仕える/導く役目を終えたんだから、普通の手順でローマでいいんでない? そもそもhe had returned to his homeなんでしょ、と私が一応いなしてみると、いやそれはそうだよ、もちろんそうなんだ、だけど故人の意志があればその限りではないわけで、これがあったかなかったかが今日だか明日だか確認されるという話だ、と言っていた。意志のあることを当然大期待なんだろうなぁと私は了解し、「土」ってところがポーランド人だなぁなど思った。もともとそういう選択肢はないわけだが、クラコー近辺の出身で(ワルシャワだって同じだが)、海に、と発想する人はいそうもないもの。なんにせよ、これを追求しすぎたら、なんか地上にえらくこだわりのある神の国の住人ってことになるのではないのか。いいのかそれで、など思った。


以上、ミニミニ現場報告でした。